研究課題/領域番号 |
21K00009
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01010:哲学および倫理学関連
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研究機関 | 信州大学 |
研究代表者 |
三谷 尚澄 信州大学, 学術研究院人文科学系, 教授 (60549377)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2025年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2024年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
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キーワード | プラグマティズムとELSI、RRI / 知的脱衣(デューイ) / 下級学問(カント) / プラグマティズム / 表出主義 / セラーズ / プライス / アッピア / メタファー / 価値の客観性 / コスモポリタニズム / ブランダム |
研究開始時の研究の概要 |
現代英米圏の哲学における「プラグマティズム」と「表出主義」の伝統は、「真理」や「善」といった重要な概念をめぐって意外なまでに親和的な主張を行なっている。しかし、歴史的に見て、両者の間で積極的な交流がなされてきたとは言い難い。この重要な哲学的対話の空白を埋めるべく、セラーズ、ブランダム、プライスの三名を取り上げ、「プラグマティストの形態における表出主義」のあり方を包括的に検討し直すことを通じて、「これら二つの哲学的潮流が合流するところにどのような展望が切り開かれるのか」という問いに対する回答を明らかにすることが本研究の目的である。
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研究実績の概要 |
「表出主義的プラグマティズムの哲学的可能性を検討する」という研究目標を達成する一環として、交付申請書に記載された目的・計画に従いつつ、以下のような成果を得ることができた。 ELSIやRRIといった、技術開発の現場に導入されている倫理学的・法学的概念に焦点を合わせつつ、プラグマティズムの根本的発想が社会的に果たしうる積極的機能を明らかにする研究を行い、成果を公表した。具体的な研究成果は以下の通りである。 1)生命倫理学の登場を機縁として、「哲学者たちが社会復帰したこと」の意義を強調するピーター・シンガーの論考に対するリチャード・ローティの評価、および、2)「カントとデューイの間」に位置を定めつつ、「緊急時における道徳的原理の重要性」を説くJ. B. シュニーウィンドの主張に注目しつつ、カントの用語に言われる「下級学問としての哲学」の社会的存在意義を検討した。 また、3)ウィリアム・ジェイムズやジョン・デューイの発想に範を取りつつ、「技術開発の源流に哲学者・倫理学者の声を導入すること」に見出される積極的な社会的機能を、プラグマティズムの根本的な発想に従いつつ明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
1)「知られざるプラグマティスト」とも称すべきJ. B. シュニーウィンドの論考に注目することで、「カントとプラグマティズムの関係」という思想史的に重要な問題について、これまで取り上げられることのなかった新しい視点からの光を当てることができた。このことは、本研究計画の目標達成に向けた一定の成果であると考えることができる。 2)ピーター・シンガー、リチャード・ローティ、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイ、三木清といった哲学者たちの論考に注目しつつ、社会プラグマティズムの思想が有する哲学的可能性を、「ELSI」や「RRI」といった社会的重要性の高いテーマとのつながりにおいて明らかにすることができた。プラグマティズムと現代のアクチュアルな倫理的課題の関係に注目し、その積極的意義を明らかにすることができた、という点において、このことは、本研究計画の目標達成に向けた大きな前進であると考えることができる。
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今後の研究の推進方策 |
研究計画に則しつつ、「表出主義的プラグマティズムの哲学的可能性」をめぐる検討を継続する。また、2024年度は、とくに「カント生誕三百年」にあたるという特殊な事情のある年でもあり、「カントとプラグマティズム」という限定的な視点から、「下級哲学の社会的機能」をめぐるプラグマティックな分析と検討を継続する。 このことについて、前年度に引き続き、「論理空間の外部に位置する声」ないし「非合理的な言語使用」――すなわち、従来の言語哲学においては「二級」(あるいはそれ以下)の言語表現としての位置付けをしか与えられなかった言語使用のあり方――にこそ、自己の変容や社会の変革を導く力を認めることができるのではないか、という発想をさらに掘り下げつつ検討し、この方向から展開されるプログラムの哲学的可能性を「西洋のボキャブラリーと東洋のボキャブラリーの混交」という観点から明らかにすることを目指して研究を行う。
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