研究課題/領域番号 |
21K00014
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01010:哲学および倫理学関連
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研究機関 | 自治医科大学 |
研究代表者 |
小野 純一 自治医科大学, 医学部, 准教授 (20847090)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2023年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2022年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2021年度: 2,080千円 (直接経費: 1,600千円、間接経費: 480千円)
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キーワード | 井筒俊彦 / 井筒豊子 / 美学 / 日本古典 / 短歌 / 歌論 / 謡曲 / 能楽理論 / 古典 / 和歌 / 能楽 |
研究開始時の研究の概要 |
井筒俊彦・豊子の日本中世古典論を批判的に参照し、歌論・能楽論を哲学テクストとして読む。両名は歌論、連歌論、能楽論、茶道論、俳論に自然観照の方法論を、各芸能に理論の実践を見たが、平安・鎌倉の和歌を縦横に駆使する謡曲を詳細に分析していない。そこで本研究は平安・鎌倉の美学の読み替えとしての能楽作品を対象に和歌から能楽へ自然観の変遷を辿り、歌論から能楽論へ方法論の変遷を追う。こ牛て従来の「草木国土悉有仏性」批判と違い、経験をめぐる語りと自然観照の方法論に哲学的意義を探る。また経験をめぐる語りを変容させようとする現代哲学に向け、井筒理論と中世芸能思想の新解釈をもとに新たな自然観照論を提示する。
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研究実績の概要 |
令和四年度は新型コロナウイルスの感染対策のため、これまでと同様、ミーティングの回数を当初の月一度のペースから半数に減らし、隔月で現象学研究者の中山純一(東洋大学)と日本思想史研究者の森瑞枝(立教大学)に来ていただき、研究会を開いた。まず、中山氏とは井筒俊彦・豊子による英文著作The Theory of Beauty in the Classical Aestetics of Japan, Martinus Nijhoff, 1981の方法論、和歌論、連歌論を現象学的に分析し、俊彦・豊子の論述の範囲で、非志向性がとりわけ藤原定家「毎月抄」の中心にあることを確認した。これは、古今集とくに古今仮名序を中心に詩的言語とは何かを論じる俊彦・豊子の思考に現象学的意義を見いだすことに繋がった。さらにこれは、俊彦・豊子が世阿弥『風姿花伝』を論じる時の指針にもなっており、本研究の中核に藤原定家の詩論を置くべきことを確認できた。このことで、『風姿花伝』の理念を舞台化する「小塩」においてテクスト全体に散りばめられた和歌やその理念が、非志向性を露呈させる機能を持つことを確認した。この成果を森氏と共有した。また森氏とともに、謡曲「杜若」では神仏習合が、芸能における非志向的な水準を表示するために活用されている点を確認した。「定家」は神仏習合的な信仰と理論を反映することを分析した。「東北」は世界をどう捉えるのかという自然観照に際し、その主体が和泉式部であり紫式部である書き方が行われることで、観照対象だけでなく主体も対象化を逃れていく事例になることを確認した。「芭蕉」では個物に焦点を当てた自然観照で主体と客体の区別が不分明になる情景の描写を確認した。古典作品に、美学・感性論的な可能性を確認できた。次年度前半ではこれらを踏まえ「源氏供養」と「松虫」、新古今和歌集を現象学的に考察する必要であることがわかった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
まず、井筒俊彦・豊子による英文著作The Theory of Beauty in the Classical Aestetics of Japan, Martinus Nijhoff, 1981を通読し、仮訳を作り、現象学的な意義を引き出すことができた。さらに、新型コロナウイルスの感染対策のため、共同研究者たちとのミーティングは回数を半減させているものの、その間の分析が蓄積されることで、分析を必要と考えた作品(「小塩」「杜若」「定家」「東北」「芭蕉」「松虫」「源氏供養」)の大半を考察することができた。また、この作品読解を踏まえて、改めて古今仮名序、『風姿花伝』、「毎月抄」といった日本の古典における理論的なテクストが持つ現象学的な意義を引き出すことにも取り掛かることができた。とりわけ、初年度に本居宣長による『源氏物語』論や『新古今和歌集』論、さらに『古事記伝』を読解していたことで、宣長の理想であった『源氏物語』と『新古今和歌集』の新展開である謡曲では、令和四年度の分析対象に選んだ上記の作品で、彼が『古事記伝』において洞察した非志向性が基調にさえなることも確認できた。これらのことを考え合わせると、本研究の進捗は順調であると言える。
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今後の研究の推進方策 |
令和五年度は、歌論書である「毎月抄」とその理念の具体化とも言える『新古今和歌集』の相関関係を、非志向性に焦点を当てて考察する予定である。また前年度で、非志向性が神仏習合の用語や理論を援用して記述されることが明らかになったのを踏まえ、「毎月抄」だけでなく、禅竹の理論書『六輪一露』も「止観」の芸能における具体例として考察していく。とりわけ、この観点から「杜若」や「定家」といった謡曲テクストを再確認することを年度前半に行う予定である。また、これと並行して、『新古今和歌集』において極めて意識されている言葉の連なりから立ち上るイメージが、頓阿と二条派ではどのように活用されていたのかを確認する。なぜなら、これら和歌や連歌における言葉の連なりから立ち上るイメージが、世阿弥や禅竹の謡曲では意識的に利用され、非志向的な水準を非概念的な言語用法(あるいは詩的言語)によって描き出そうとしていると理解できるからである。さらに、本居宣長が幼少時から謡曲を学び続けた上で、『源氏物語』論や『新古今和歌集』論を書き、その路線上に『古事記伝』があること、そこには詩的言語と非志向性の問題を明らかにしようとする彼固有の言語論があることへと考察を接続できると考えている。最終年度として、これまでの成果をパネルないしワークショップで公開することを考えているが、謡曲「小塩」「杜若」「定家」「東北」「芭蕉」「松虫」「源氏供養」だけでなく、古今仮名序、『風姿花伝』、「毎月抄」の分析も進み、The Theory of Beauty in the Classical Aestetics of Japan, Martinus Nijhoff, 1981の下訳も出来上がりつつあることから、これらの研究を個別で発表するだけではなく、定家から禅竹、さらに宣長の言語論を射程に含めた体系立った主題の研究書を刊行する予定である。
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