研究課題/領域番号 |
21K00023
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01010:哲学および倫理学関連
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研究機関 | 防衛大学校(総合教育学群、人文社会科学群、応用科学群、電気情報学群及びシステム工学群) |
研究代表者 |
轟 孝夫 防衛大学校(総合教育学群、人文社会科学群、応用科学群、電気情報学群及びシステム工学群), 人文社会科学群, 教授 (30545794)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,470千円 (直接経費: 1,900千円、間接経費: 570千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | マルティン・ハイデガー / マックス・ヴェーバー / 価値に囚われない学問 / 新教育運動 / ハイデガーのナチス加担 / ヘルマン・ノール / ハイデガー / 存在への問い / フォルク / ナチズム / エトムント・フッサール / 価値判断を交えない学問 / 民族のための学問 / 学問の危機 / ナチス / 近代合理主義の宗教的起源 / ユダヤ教 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は従来の研究では注目されることのなかったハイデガーとヴェーバーの思想史的な連関に光を当て、20世紀前半の思想史をより多面的、包括的に描き出す試みである。本研究ではとりわけ学問論、近代合理主義の宗教的起源、近代批判の政治的含意といった点について、両者の思想的立場の比較考察を遂行する。そのことによって、それぞれの思想の特質を明らかにし、現代における近代批判の可能性を踏査することが本研究の究極的な目標である。
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研究実績の概要 |
2023年度においてはハイデガーの「存在への問い」がヴェーバーの講演「職業としての学問」に端を発するドイツ戦間期の学問論的論争を意識しつつ、そのうちで自己の立場を位置づける性格をもつことを解明した。学問は「価値に囚われない」ものであるべきだというヴェーバーの主張に対して、ハイデガーは自身の哲学において、むしろ積極的に「存在」を生の支えとして提示し、当時の学生たちの「生に親近な」学問の要求に応えようとした。このことにより、ハイデガーはワイマール期の学生運動の思想的な旗手となり、教育の民主化を目指す当時の「新教育」運動に近い存在だとも見なされていた。1930年にハイデガーがベルリン大学に招聘されたのも、彼を新教育運動の象徴として最高学府に押し上げようとする意図が背景にあった。長年、議論されてきたハイデガーのナチス加担もこうしたワイマール期の教育改革への関心の延長線上に捉えるべきである。ハイデガーはナチス政権獲得後、ドイツ学生団が大学内を席巻した状況を自身の学問論に基づいた大学の刷新の好機と見なし、そのために学生たちを精神的に指導する役割を引き受けようとした。つまりハイデガーにとってナチス運動はワイマール期における新教育運動の否定ではなく、むしろそのラディカルな推進を可能にするものとして現れていた。このナチスの受容は、教育学者ヘルマン・ノールなど新教育運動の推進者らにも共通するものであった。2023年度は以上のような知見を『ハイデガーの哲学』(講談社現代新書、2023年)、ならびに同書の販促に関係するネット記事において一般向けに幅広く公表した。また同年度にはバイエルン州立図書館に資料収集のための出張を行った。その際、ハイデガーの1910年代~20年代の書簡を中心とした資料の読解を行い、ハイデガーを同時代の学問論的議論や学者の人脈のうちでとらえるために必要な情報を収集した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究ではこれまでにハイデガーの「存在への問い」が、ヴェーバーが先鞭をつけた学問論的論争を意識し、若き学生たちの反ヴェーバー的・反主知主義的な立場に哲学的基礎づけを与えるものであることを明らかにした。そのことにより、ハイデガーが『存在と時間』刊行以前から、なぜあれほどまでの名声を若い学生たちのあいだで築いていたのかという謎について明快な答えを示すことができた。同時にナチス政権獲得後のハイデガーのフライブルク大学の学長就任が、学問改革を志向する学生たちの輿望を担ったものであることも明らかとなり、ながらく議論の的となってきた彼の思想と政治的活動の連関が、これまでの研究には見られない具体性において示された。2023年度には以上にその一端を示した本研究の成果を拙著『ハイデガーの哲学』に盛り込んで発表し、研究成果の社会的還元も順調に進展した。ただしハイデガーとヴェーバーの学問論的立場を対比するという上述の構図においては、前者が近代批判的な立場を取るのに対して、後者は近代的学問に体現された近代性を擁護する立場として捉えられがちである。しかしヴェーバーの思想が単なる近代性を擁護する立場に尽きるわけではなく、むしろ近代文明批判的な視点を包含していることも多くの研究者によってつとに指摘されている。本研究ではこの側面についてはまだ十分に考察を展開できていないので、この点についての詳細な取り扱いは研究の残り期間の課題として残されている。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの研究では、ヴェーバーとハイデガーの学問論的な立場の対比に力点が置かれてきた。そこで研究の最終段階においては、宗教と社会の関係性についてのマックス・ヴェーバーの宗教社会学的な業績と、ユダヤ・キリスト教をめぐるハイデガーの「存在の歴史」の考察の比較を行い、それをとおして西洋文明において宗教的要因がどのような仕方で作用しているのか、ならびにそこに示された両者の近代文明批判の特質を解明していきたい。具体的には以下の二点について研究を行う予定である。(1)ハイデガーの物議を醸した「ユダヤ的なもの」への言及と、ヴェーバーのユダヤ教についての捉え方を比較し、両者のそれぞれが西洋文明の形成においてユダヤ教が果たした役割をどのように捉えているのかを明らかにする。(2)ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に示されている近代批判とハイデガーの近代批判の比較を行う。それにより、両者の近代批判がそれぞれどのような思想的根拠に基づいて展開されているか、さらに近代性の展開に対してキリスト教が果たした役割を両者がどのように捉えているかを比較検討する。研究の最終年度となる今年度は以上の研究を推進するとともに、その研究成果を前年度までの研究成果も含めて、適宜発表していくことにしたい。
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