研究課題/領域番号 |
21K00041
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01010:哲学および倫理学関連
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研究機関 | 明治大学 (2022) 東洋大学 (2021) |
研究代表者 |
太田 雅子 明治大学, 研究・知財戦略機構(和泉), 研究推進員(客員研究員) (50376969)
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研究分担者 |
吉良 貴之 愛知大学, 法学部, 准教授 (50710919)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2023年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2022年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2021年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | 無知による行為 / 法的責任 / 道徳的責任 / 欺瞞 / 非難 / 弁明 / 正当化 / ナッジ / 無知 / 行為の内的側面 / 行為の外的側面 / 責任 / 有責な無知 / 自己欺瞞 / 責任の社会化 / アクラシア |
研究開始時の研究の概要 |
行為を遂行するのに必要とされる知識が欠如している場合、あるいは行為者が最善であるとみなした方法とはあえて逆の意思決定を行う場合、通常のように、「行為者にはしかるべき動機があり、それを構成する信念や遂行に必要な知識を備えた上で意図的に行われる」という行為観のもとで責任を問うのは困難である。本研究ではそのような事例においてあえて責任を帰属させるためには何が必要なのかという問題設定のもと、行為者の動機や信念などの「内的側面」と、行為者が置かれている共同体の法的規範などの「外的側面」の双方から責任概念の確定を目指すものである。
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研究実績の概要 |
行為者が自らの行為に責任をもつ、あるいは他者が行為者に責任を問うことができるためには、行為者が自らの行為がどういうものであり、それがどのような影響を引き起こしうるかに関する「知識」が不可欠である。この知識を欠いている「有責な無知」に責任を課すことができるかどうかという問題に哲学的・法学的方面からどうアプローチするかが本研究課題の目標である。 本年度は、研究代表者の太田は、無知による行為の有責性を批判するギデオン・ローゼンの論証、とりわけ「無知の責任についての懐疑論」の妥当性を批判的に検証する発表を行った。さらに、行為の「無知」を「誤った信念」として捉え、男女間の教育方針の不平等や奴隷制の容認など差別的行為の端緒とみなすローゼンおよびエリザベス・ハーマンの論考をとりあげ、行為の無知は必ずしも誤信念とは捉えきれないという反論を行い、「〇〇が悪であることを『知らなかった』」という行為者の主張が実は「知ることができるはずであったのに知ることを怠った」あるいはあえて目をそむけたという「欺瞞」の可能性も視野に入れ、さらに「知らなかった」ことが行為の弁明になりうるか、などの様々な問題領域への広がりを見せ、無知による行為と差別との関連の指摘によって、本研究に新たな方向性を見出すことができた。 研究分担者の吉良貴之は、主に「ナッジ(間接的に、あるいは目に見えない形でひとに特定の行為を促すこと)」に関して研究成果を発表した。このテーマは、行為者の無知の行為を促すという意味で本研究とも密接な関連があるため、研究代表者としてもナッジと無知による行為の関連性をより深く追究する必要があると考える。無知の行為の責任とナッジとの関連は、哲学若手研究者フォーラムで行ったワークショップ「行為・知識・責任:法と哲学の対話」において、研究課題遂行上の新たな発展を見せるきっかけとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度は参加学会が対面形式となることが多くなり、関連領域の研究者との議論を活発に行うことができた点では進捗が見られた。学会発表も順調に行い、本数も増えている。しかし、研究代表者が研究に取り組むための時間配分がうまくできず論文化が進んでいないため、研究成果の周知の点で不十分さが見られる。
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今後の研究の推進方策 |
2021年度および2022年度の研究発表の論文執筆を進め、さらに研究分担者の吉良貴之氏が進めている「ナッジ」の分析成果も取り入れて、本研究課題の目標である「哲学と法哲学の対話」の側面を積極的に押し出していきたいと考えている。 また、本研究課題採択前から進めていた、「強制による行為に責任は生じるか」という課題について、ユーゴスラビア内戦時、上官からの脅迫によってムスリム虐殺に加担させられたドラジェン・エルデモヴィッチの責任をどう規定するかの研究も視野に入れたいと考えている。この行為は無知により行われたものではないものの、選択の余地のない外的要因により本人の意思に反する行為をせざるをえなくなった事例であるという点において、本研究課題との共通点が見られるからである。
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