研究課題/領域番号 |
21K00053
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01020:中国哲学、印度哲学および仏教学関連
|
研究機関 | 大正大学 |
研究代表者 |
工藤 量導 (クドウリョウドウ) 大正大学, 仏教学部, 専任講師 (60624674)
|
研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
|
研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
|
配分額 *注記 |
3,510千円 (直接経費: 2,700千円、間接経費: 810千円)
2024年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
|
キーワード | 仏土論 / 仏身論 / 雑義記 / 注維摩詰経 / 一質異見 / 異質異見 / 吉蔵 / 懐感 / 中国仏教 / 浄穢の議論 / 浄名玄論 / 報土 / 応土 / 道誾 / 道世 / 道安 / 僧叡 / 五種土説 / 『雑義記』羽271 / 浄影寺慧遠 / 『大乗義章』 |
研究開始時の研究の概要 |
大乗仏教の代表的な教理である仏身仏土論のうち、仏身論がインド仏教に淵源を持つのに対して、仏土論は後発的に作られたものであり、実は中国仏教独自の理論体系である。仏土論とは諸仏浄土の序列化、いわば格付けを目的とする議論であるが、その起源がほとんど解明されていなかった。 本研究では、その発生期とみられる東晋代から南北朝期の新出資料をもとに、いつ、どこで、誰が関わり、どのような思想状況で仏土論が成立し、東アジア世界に展開していったのかを明らかにする。仏土論の思想的源流に迫ることで、あらためて「浄土とは何か」という現代的意義も再考したい。
|
研究実績の概要 |
本研究は中国仏教における共通の議論テーマであった「仏土論」について、その発生期とみられる東晋代から南北朝期の文献資料をもとに、いつ、どこで、誰が関わり、どのような思想的状況において仏土論が成立し、展開していったのかを明らかにすることを目的としている。本年度は①仏土の序列構造の形成をめぐって、②懐感『群疑論』における浄穢の議論に関する研究を進めた。 ①では、中国仏教における仏土論創成期の実態を知り得る文献として『雑義記』羽二七一の思想的位置づけを論じた。『雑義記』は『注維摩詰経』から『融即相無相論』『大乗義章』にいたる仏土論形成の過渡期における時代的証言を豊富に含有する文献であり、今回の考察によって、これまで空白であった報土と応土の序列構造が組み上げられてゆく過程の一端を明らかにすることができた。仏土論創成期における諸議論は、羅什およびその門下によって撒かれた種(報化之浄国、仏と衆生の各土、封彊)が、当人の予想も超えてさまざまな形に発芽してゆくことで、仏土論の序列構造を生み出す土台となり、次世代の翻訳経論にもとづく三身論との思想的な合流と教理的な整理を経て、ようやく一定の方向性を得て落着していった。 ②では懐感『群疑論』における浄穢の議論を検討して、吉蔵『華厳遊意』『浄名玄論』を参照している可能性が高いことを明らかにした。浄穢の議論はそもそも阿弥陀仏信仰との関連性が希薄であり、『群疑論』に展開される議論も『維摩経』心浄土浄説を主題とするものであるため、吉蔵の注疏類を指南書として援用したのであろう。換言すれば、懐感の目的は浄穢の議論の理論的解明というよりも、唯識説を頂点とする大乗・小乗の諸学説の序列化を企図したものであった。とりわけ、懐感が強調する唯識説の優位性という着眼点までもが吉蔵の学説に由来する可能性があることは先行研究には見られない新たな主張である。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、中国仏教における仏土論に関する文献として、本年度は①仏土の序列構造の形成をめぐって、②懐感『群疑論』における浄穢の議論に関する研究を進めた。とりわけ②について、懐感『群疑論』における浄穢の議論が玄奘新訳にもとづく唯識説ではなく、吉蔵の注疏類を指南書としていた可能性について指摘するものは先行研究には見られない新たな主張であり重要な成果であった。
|
今後の研究の推進方策 |
懐感が受容した唯識説は、教学構造の根源的な部分には前時代の摂論学派系統の唯識説の影響力が色濃いとの指摘がなされている。したがって、懐感が想定する質の定義についても、玄奘訳にもとづく唯識用語を前提とした理解、たとえば「質=本質(相分、疎所縁)」であるとは自明視できず、吉蔵の認識と同程度のものであったとも考えられる。この点については、懐感と同時代の道誾、円測、基における受容と対照することでより鮮明になると予想されるため、今後の研究課題としたい。
|