研究課題/領域番号 |
21K00054
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01020:中国哲学、印度哲学および仏教学関連
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研究機関 | 東洋大学 |
研究代表者 |
菊地 章太 東洋大学, ライフデザイン学部, 教授 (40231279)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2024年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | 媽祖 / 東アジア / 東西交渉 / 民間信仰 / 比較宗教史 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、東アジアの海域世界で守護女神として圧倒的な信仰を集めている媽祖を研究対象とし、その伝播の過程における東西交渉の足跡を比較宗教史的に解明することを目的とする。中国南部の民間信仰の中で芽生えた媽祖の崇拝が東アジア各地に伝播しはじめた16世紀は、世界史上の大航海時代にあたっていた。媽祖崇拝の広域的拡大という中国民間宗教史上の一大事象について、東西文化交流の実態を現地調査と文献研究をもとにたどり、一地方の崇拝対象から出発した媽祖が巨大な信仰圏を築くに至った経過をより広範な射程から明らかにしていく。
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研究実績の概要 |
本研究は媽祖崇拝が東アジアの海域世界に伝播していく過程で生じた東西交渉の足跡を比較宗教史の視点から解明することをめざすものである。考察を実証的に遂行していくための具体的な作業として、文献研究と現地調査を2つの基本的な柱としている。 文献研究に関しては、今年度はヤン・デ・ホロートの大著『厦門の年中行事』を考察の対象とした(Jan de Groot, Les fetes annuellement celebrees a Emoui, Etude concernant la religion populaire des Chinois, Annales du Musee Guimet, XI, Paris, 1886)。オランダ東インド政庁通訳官であったデ・ホロートは清朝末期の中国における調査をもとに中国宗教民俗誌をまとめた。そこには当時の中国南西部における媽祖信仰に関する貴重な証言が含まれている。厦門の位置する福建の神々が紹介されたのち、伝説に彩られた媽祖の生涯がたどられる。船乗りの守護神となった奇瑞が語られ、商人と移民と子宝を願う人々の信仰を集めていたことが明らかにされた。 現地調査に関しては、媽祖像をはじめとする道教神像・聖母像等の写真撮影、聖職者や信者からの聞き取り調査、古文書館等での資料収集をおこなうことをめざしている。今年度末に青森県津軽半島周辺において媽祖崇拝の痕跡を探ることを計画したが、当該地方において例年を超える雪害が著しかったため、年度内の実行を断念した。2020年度に終了した科学研究費助成基金研究(「媽祖崇拝の比較宗教史的研究―民間信仰と諸宗教の融合による東アジア海域世界への伝播」基盤研究C)によって青森県下北半島周辺において現地調査をおこない、媽祖崇拝伝播の徴証を見出しているので、次年度は早々に津軽半島周辺での調査を実行する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究を推進していくうえで基本となる作業は、文献研究と現地調査を併行しておこなうことである。まず文献研究については、オランダ人通訳官ヤン・デ・ホロートによる調査記録を精読する作業に専念した。1886年刊行の『厦門の年中行事』の中から、清朝末期の中国南西部における媽祖崇拝の実態に関して以下の事実を読み取ることができた。 デ・ホロートの観察によれば、船乗りの守護神である媽祖の廟や祠は、必ずしも海に面した土地だけではなく、河川や運河の岸辺、とりわけ運搬船の発着所に多く見出される。このことから、媽祖が物資の廻漕を担う人々からも崇拝され、商人の守護神となっていた事実が確認できるという。また、移民は媽祖廟内の炉の灰を小さな袋に入れて携える習慣を有し、オランダの植民地にいた中国人は誰もがそれを御守りにしていた。さらに「媽祖は産褥にある女性の守護神であり、とりわけ子孫を渇望する者に加護をあたえた。それは子を失った人のために媽祖が示した種々の奇跡の言い伝えにもとづく」という。子授けの祈願はかつての中国では切実熾烈なものだったが、媽祖は民間に浸透した送子娘々や催生娘々の信仰ともはや混淆したかの如くであるとデ・ホロートは記述している。西洋人の目から見るならば、媽祖崇拝の実態は民間信仰と融合したものであり、このことがむしろ積極的に評価されている点で、比較宗教史的な視座の上で貴重な言説であると認められた。 以上の点から、文献研究に関しては(1)「当初の計画以上に進展している」が該当するが、上述の理由で現地調査をおこなうことができなかったため、全体において(2)「おおむね順調に進展している」を選択した。
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今後の研究の推進方策 |
媽祖崇拝を研究対象として東アジアの民間信仰における東西交渉のありようを比較宗教史的にたどる考察のうち、文献研究については当初の計画以上に進展しつつあるが、研究途上で新たな課題も浮上した。子授けや子育ての女神である送子娘々や催生娘々等の崇拝は、それらを従える碧霞元君の信仰が背景にある。旧中国では華北の碧霞元君と江南の媽祖が女神としての崇拝を二分する勢いだった(Edouard Chavannes, Le T’ai chan: Essai de monographie d’un culte chinois, Annales du Musee Guimet, XXI, Paris, 1910; 拙訳『泰山 ― 中国人の信仰』平凡社東洋文庫、2019)。次年度はこのような道教神の崇拝や近世に東アジアにもたらされたキリスト教の聖母崇拝との交渉も視野に入れつつ、媽祖説話の拡大と伝播の足跡を検証していきたい。 現地調査に関しては、今年度の実施を断念した青森県津軽半島周辺の社寺において媽祖ならびに海の守護神崇拝の痕跡を探る調査を次年度に実施する予定である。媽祖像をはじめとする習合神像・道教神像等の写真撮影、管理者や崇拝者からの聞き取り調査、および資料収集をおこないたい。 以上の文献研究と現地調査をもとに、媽祖崇拝と大航海時代のキリスト教信仰との歴史的接点を明らかにし、4年間の研究期間の最終年度にその成果を学術書の形でまとめていく。媽祖崇拝の広域的拡大という中国民間宗教史上の一大事象について、東西交渉に関する比較宗教史的考察という新たな視座を導入することにより、東アジアへのキリスト教伝播を含めた、より広範な射程から、その実態の解明にせまることが本研究のめざすところである。
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