研究課題/領域番号 |
21K00199
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01070:芸術実践論関連
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研究機関 | 立教大学 (2022) 早稲田大学 (2021) |
研究代表者 |
後藤 隆基 立教大学, 江戸川乱歩記念大衆文化研究センター, 助教 (00770851)
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研究分担者 |
児玉 竜一 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (10277783)
神山 彰 明治大学, 文学部, 名誉教授 (20287882)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2023年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2022年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2021年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 倉林誠一郎 / 制作者 / 戦後演劇史 / 新劇 / 興行 / 戦後新劇 / 同時代文化 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究では、従来未整理・未公開であった倉林誠一郎(1912~2000)の日記(全79冊)等(早稲田大学演劇博物館所蔵)の調査・翻刻・考証を行う。敗戦直後の1946年に俳優座に入団した倉林は、56年に俳優座劇場を設立、81年代表取締役に就任した。65年には日本芸能実演家団体協議会の設立に参画し、舞台芸術における実演家の権利保護や文化活動の支援、政策提言等に多大な影響を及ぼした。本研究は、倉林が47年以降、逝去前の2000年3月までほぼ間断なく書き継いできた日記の調査・翻刻・考証を通して、①戦後新劇(史)の実態解明、②演劇制作者としての倉林誠一郎の再評価を行うための基盤形成を図るものである。
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研究実績の概要 |
令和4年度は、前年度に引き続き、倉林誠一郎旧蔵資料のうち、日記(以下、倉林日記)の整理・調査・考証を行なった。 第一に、1952年までの倉林日記の翻刻作業を終え、判読不明箇所や登場する人物の確定など、1947年以降の「占領期」に関する部分を中心に翻刻の精査・内容の考証等を進めた。詳細の検討は次年度も継続するが、戦後演劇において「新劇」というジャンルが「興行」として商業演劇と不可分であり、その結節点としての倉林という個性の存在が浮かびあがってきた。それらに加え、1953年以降の翻刻等にも着手している。 第二に、資料保存および翻刻作業の分担等の観点から、倉林日記のデジタル化を優先的に進め、1970年代までの日記のデジタル化が完了した。研究代表者と研究分担者間での日記データの共有体制は有効に機能している。内容の精査は次年度の課題だが、劇団俳優座と俳優座劇場の分裂期等の日記が書かれていないことなど、日記以外の文献、倉林以外の関係者の資料等をあわせて検討する必要性が明らかになった。 第三に、倉林日記の記述と同時代の演劇界の動向や社会状況等を対照するために、同時代紙誌や倉林の著作等の調査も継続して行なった。ことに、倉林が本格的に「制作者」として演劇(界)に携わるまでの経緯を講究し、従来言及されてこなかった倉林の事績について解明するとともに、演劇制作者としての倉林およびその職掌を、興行史研究のなかに位置づけることを試みた。 第四に、倉林が長年芸団協で数々の政策提言等を行なってきたこと、令和4年が劇場法施行10年にあたることから、倉林の事績から現代的課題に接続しうる道を講究するシンポジウムを開催し、現代の現場の視点から遡行して倉林の思考を探索することもめざした。 今後は、倉林日記の翻刻およびデジタル化を進め、それらを検討した成果は随時学会での発表や論文化を通して公開する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
令和4年度においては、前年度に引き続き、倉林誠一郎旧蔵資料のうち、日記(以下、倉林日記)の整理・調査・考証を中心に進めた。時期としては、1947年から1952年までの「占領期」に関する部分の翻刻作業を一通り終え、判読不明箇所や登場する人物の確定など、内容の精査・考証等を行なっている。 研究代表者が、倉林日記を所蔵する早稲田大学演劇博物館から所属が変わったため、定期的な資料閲覧・整理が前年度に比べて困難になったが、すでにデジタル化済みのデータを使用し、それらを研究分担者とも共有することで、各自が現地へ赴かずとも資料の検討が可能となる体制がととのっており、不定期に研究会も実施、日記の内容にかんする意見交換を行なうなど、概ね順調に進展していると考える。翻刻の確認と内容検討は次年度も継続するが、戦後演劇において「新劇」というジャンルが「興行」として商業演劇と不可分であり、その結節点としての倉林という個性の存在が浮かびあがってきた。なお、1970年代までの倉林日記のデジタル化が完了しており、1953年以降の翻刻等にも着手している。 また、倉林日記の記述と同時代の演劇界の動向や社会状況等を対照するために、同時代紙誌や倉林の著作等の調査も継続して行なっている。とくに倉林が本格的に「制作者」として演劇(界)に携わるまでの経緯を講究し、従来言及されてこなかった倉林の事績について解明し、再評価するとともに、「演劇制作者」という職掌を興行史研究のなかに位置づけることを試みた。 くわえて、倉林が長年芸団協で数々の政策提言等を行なってきたこと、令和4年が劇場法施行10年にあたることにかんがみ、倉林の事績を通して現代的課題の発見・解決に接続しうる道を講究するシンポジウム「劇場法は何をもたらしたのか:施行10年とコロナ禍の3年」を開催した。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度となる令和5年度においては、前年度に引き続き倉林日記の翻刻の精査、内容の調査・考証を行なう。とくに、1947年から1952年の「占領期」にあたる部分を焦点化し、研究代表者および研究分担者がそれぞれのテーマで日記に関わる検討を進める。主な内容は、①興行史としての新劇(商業演劇との関わり、他劇団との比較、演劇人・映画人・文壇との関わり)、②映画(界)を視座とする戦後文化史、③倉林誠一郎と伊藤三兄弟(伊藤道郎、伊藤熹朔、千田是也)の関係からみる戦後演劇史の3点であり、研究会を重ねた上で、それらに基づくシンポジウムを実施する予定である。 また、倉林日記の「占領期」に相当する箇所を翻刻出版することで、ひろく同資料の史的意義を発信し、より多くの人がアクセスしやすい環境の整備をめざす。そのために、翻刻の確認と注釈を付す言葉の抽出を進め、あわせて関連論考を収録した形での公開方法を検討していく。 日本演劇(史)研究は従来、作家や演出家、俳優といった創作主体に関する研究が中心であり、興行の企画運営・制作といった側面からの研究は、未開拓の領域が多く残されている。倉林日記の考証・公開によって、倉林誠一郎という制作者の事績と占領期を中心とする戦後新劇の動態を明らかにし、作家・演出家・俳優等の創作主体からの視点にとどまらない新たな演劇(史)研究への視角をひらくことが可能となる。 上記の作業を通して、戦後新劇を形成してきた基礎的な情報を整理し、表だって語られることのない裏面史も含めた資料の分析成果を提示するとともに、「新劇」から「小劇場演劇」への移行と語られることの多い戦後演劇史に、断絶・切断線を入れず、連続性を維持しながら、長いスパンを射程に入れた視座が確保できることは重要と考える。 なお、上記「占領期」以降も倉林日記の翻刻は継続し、次段階のテーマと公開方法等を検討する予定である。
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