研究課題/領域番号 |
21K00211
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01070:芸術実践論関連
|
研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
山本 佳樹 大阪大学, 大学院人文学研究科(言語文化学専攻), 教授 (90240134)
|
研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
|
研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
|
配分額 *注記 |
3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2023年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2022年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2021年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
|
キーワード | ドイツ映画 / 戦時日本映画 / 文化映画 / 満洲映画協会 / 戦時下の日本 |
研究開始時の研究の概要 |
1937年7月の日中戦争開戦にともない、日本では、映画の社会的影響力を利用した「映画国策」が推進されることになった。映画法の制定、映画産業の再編合理化など、実施された政策には、ナチスの映画政策を想起させるものが多い。また、真珠湾攻撃以降、アメリカ映画の輸入が途絶えると、日本で見られる洋画の中心はドイツ映画となった。当時の映画雑誌を繙くと、その状況がわかる。ところが、ドイツ映画の影響は、ナチスとのかかわりを語ることが戦後においてタブーだったこともあり、これまで十分には論じられてこなかった。本研究は、戦時下の日本におけるドイツ映画の受容に光をあて、日独映画交流史における空隙を埋めるものである。
|
研究実績の概要 |
昨年度に引き続き。戦時中の映画雑誌からドイツ映画にかんする言説を拾い、日本映画へのその影響について考察した。比較的リベラルな『キネマ旬報』(1941年からは『映画旬報』)と映画国策のなかで組織された大日本映画協会発行の映画雑誌『日本映画』とを主な対象としたが、そのなかでレニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』(1938)が、宣伝と評価の両面において、特権的な地位を与えられていることに気づいた。そしてその要因を探るうちに、「文化映画」という概念の重要さが浮かびあがってきた。もともと「文化映画」はドイツ語のKulturfilmの訳語であり、ドイツの伝統あるドキュメンタリーの一ジャンルだが、戦時中の日本において、アメリカ的な「劇映画」に対抗する概念としてもちあげられるようになったという経緯がある。映画雑誌上でも「文化映画」をめぐる議論が盛んに行なわれているし、今村太平、筈見恒夫、相川春喜といった当時の論客たちは、その書籍において、問題を映画と民族というレベルに展開しながら、それぞれ「文化映画」を論じている。本年度はこの「文化映画」にかんする多岐にわたる資料を収集し、考察を進めた。 また、本課題のテーマと直接のつながりはなく、時代も異なるが、「各国映像メディアにおける団地表象の比較研究」というシンポジウムのパネリストとして、東ドイツ映画における団地表象の特色について発表し、ソ連やポーランドや日本の事例と比較しつつ、議論を行なった。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
前述のように、戦時中の日本映画におけるドイツ映画の影響についての研究を進めるうちに、「文化映画」という概念の重要さに気づくことになった。いくつもの映画雑誌をはじめとして、筈見恒夫『映画と民族性』(1942)相川春喜『文化映画論』(1944)といった当時の著作にあたったが、コロナ禍が続いて資料取集が十分にはできず、年度内にこのテーマで論文を仕上げるにはいたらなかった。
|
今後の研究の推進方策 |
さらに資料収集を続けつつ、今年度中には戦時日本映画における「文化映画」の概念とその位置づけ、ドイツ映画との関係について、論文のかたちにしたい。また、『オリンピア』の受容にかんして、「文化映画」と関連させつつ分析する予定である。
|