研究開始時の研究の概要 |
本研究では「典型的な政府主導型」で進められた洋楽導入のうち,「声楽」を調査対象とする。明治末までに官立の東京音楽学校で声楽を担当した4名の外国人教師の出身はいずれもドイツおよびドイツ近郊であったが,明治44年にイタリア人テノール歌手アドルフォ・サルコリ(Adolfo Sarcoli,1867-1936)が突如来日する。サルコリは昭和11年に亡くなるまで日本の自宅で若い音楽家に声楽を教え,世界の舞台で活躍させた。日本に於ける「ベル・カントの父」と呼ばれたサルコリおよび「イタリア系」と呼ばれた弟子たちが,日本の西洋声楽受容過程に与えた影響について考察をおこなう。
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研究実績の概要 |
本研究では、ドイツ系が主流であった西洋声楽受容期に来日したイタリア系とされたアドルフォ・サルコリ(1867-1936)および弟子たちの音楽活動を調査し,明治44(1911)年の来日以降日本で音楽活動や教授活動をおこない、「日本のベル・カントの父」と呼ばれるまでになったサルコリが日本の西洋声楽受容過程にどのような影響を与えたのかについて考察する。研究方法は,音楽活動に関する当時の新聞や雑誌など,残されている記事や資料等を詳細に調査してまとめること,そして比較的多く残されているサルコリの手紙などの翻訳および考察である。 これまでサルコリに関する資料を調査し,その結果を「海外での音楽活動」と「日本での音楽活動」とに分け「海外での音楽活動」についてはルーマニアとフィリピンにおける音楽活動を「日本での音楽活動」については1911年から1936年に行ったサルコリおよびイタリア系声楽家達の音楽活動をまとめ,報告した。 2023年度は,未調査であったナポリおよびナポリ近郊,シチリア(カターニャ,ノート,シラクーザ,アチレアーレ)にて,サルコリが演奏をおこなった劇場を視察し,新聞や雑誌から演奏会プログラムを調査した。1900年頃のシチリアには,日本とは比較にならないほどの多くのオペラ歌手が演奏活動をおこなっていたことがわかった。サルコリはその多くのオペラ歌手の一人ではあったが,オペラでは主役級の役を演じていることがプログラムに残されていた。また後に世界で活躍するオペラ歌手とも共演したことが記されていた。現在は,イタリアでの調査で収集した資料をもとに,サルコリの演奏活動やレパートリーをまとめている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナ禍のため,予定の時期に海外調査がおこなえなかった分やや遅れていた。ただし,2023年度にはナポリ、シチリアで調査をおこなうことができた。 これら調査結果をまとめるために,研究計画を変更し,科研費補助事業期間延長を申請し,資料整理等を続けている。
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