研究課題/領域番号 |
21K00320
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02010:日本文学関連
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研究機関 | 佐賀女子短期大学 |
研究代表者 |
長澤 雅春 佐賀女子短期大学, その他部局等, 教授 (00310920)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,640千円 (直接経費: 2,800千円、間接経費: 840千円)
2023年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2022年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2021年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 朝鮮近代文学 / 日本語文学 / 親日文学 / プロレタリア文学 / 転向 / 朝鮮教育 / 植民地政策 / 日本近代文学 / 皇民化政策 / 朝鮮総督府 |
研究開始時の研究の概要 |
朝鮮人専用となる普通学校において国語教育を受け、その子らが成長して日本語を自在に運用できるようになったとき、民族アイデンティティと日本・日本語との衝突が生ずる。本研究は、遅れてきた朝鮮近代文学が日本近代文学とどのように連関し合い、変貌を遂げていくのか。皇民化政策のなかで生じた〈転向〉過程、その後の朝鮮文壇の成立、日本語文学の成立過程、これらを俯瞰できるよう系譜立てることにする。これまでの科研調査によって収集してきた高麗大学、西江大学に所蔵される開化期から解放直後にいたるまでの定期刊行雑誌(開化期20種、併合期175種、解放期89種、朝鮮戦争期まで35種)をもとに考察する。
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研究実績の概要 |
朝鮮プロレタリア文学の興りは、日本留学中の若者らによる焔群社(1922.9結成)とパスキュラ(PASKYULA 1923.9結成)にあるが、これは『種蒔く人』(1921-1922)後における日本のプロレタリア文学運動とほぼ同時期である。国内で治安維持法が成立した1925(大正14)年の朝鮮では労働争議55件(5700名参加)、小作争議204件(4002名参加)があり、この年に朝鮮共産党と高麗共産青年会が創立されている。また同年にプロレタリア運動を芸術運動と一体化する朝鮮プロレタリア芸術家同盟(KAPF/カップ/機関紙『文芸運動』)も結成されていて、日本プロレタリア文芸連盟の結成も同年であることから、朝鮮文学の遅れた近代化は日本近代文学の影響下にありつつも、プロレタリア芸術運動の展開はほぼ同時となっている。 これは、日本近代文学のような、浪漫主義・自然主義・プロレタリアといった順位的な流れではなく、朝鮮文学には日本近代文学を圧倒するかのような密度でこれらの潮流が混在していることを表している。 また、1933(昭和8)年の佐野鍋山転向声明の後、朝鮮でも度重なる共産主義者の検挙事件を経て1935(昭和10)年にカップは解体を決議した。これによって、行き場を失ったカップ系作家(朴英煕など)は、既成朝鮮文壇にたいして新たな文学の方向を見出そうとすることになった。日本留学によって日本の政治状況を知る留学生たちがプロレタリア運動に関わり、日本語に堪能な留学組の彼らが「転向」用語を用いつつ、1940年代の親日文学(日本語文学)の担い手となっていく。 もちろん、転向者のみが日本語文学の担い手となったいるわけではないが、しかし「転向」を思想的内面の回転ととらえ、たんなる共産主義の自己否定ではないと考えたとき、朝鮮文学における「転向」と日本語文学の存在は別な様相を見せている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
併合期における朝鮮文学の思想的動向を概観するために、当時の朝鮮内で刊行された文芸系諸誌及び日刊紙(『朝鮮日報』『中央日報』)から朝鮮文壇の形成経緯・プレタリア活動の解散経緯をうかがえる評論を、『1930年代韓国文芸批評資料集』(全20巻/啓明文化社/1989)を底本として、高麗大学図書館蔵資料・西江大学図書館蔵資料、及び権寧珉編『韓国現代文学批評史Ⅰ-Ⅴ』(檀大出版部,1981-1982)を参照にしつつ1930(昭和5)年1月分よりリスト化を試みているが、これはまだ国内でなされていない作業である。 これについては、「朝鮮近代文芸批評作品リスト」として1930(昭和5)年を(1)として現在(5)までを『佐賀女子短期大学研究紀要』に掲載している。当該年度は(4)(5)として「1933(昭和8)年1月~1935(昭和10)年12月」(第51集第1号及び第2号)までを掲載した。 朝鮮近代文学の形成を明らかにするための文献作業のため、リスト内容はかなりの分量となっており、とくに朝鮮近代文学が質量ともに充実している1930年代のリスト化には多くの作業時間を要している。 ただし、詳細なリスト化作業については、当時の時代的事情を勘案しての作業にもなるため時間を要しているものの、30年代末までの朝鮮プロレタリア文学運動の衰退と転向そして親日文学への過程については大筋の見通しはついている。 1938(昭和13)年の第3次朝鮮教育令(皇民化教育(内鮮一体)を受けて、将来の見えない朝鮮文学は内鮮一体文学へと変容して朝鮮文学の生き残りを模索していく。それが、「京城日報」に掲載された朝鮮作家と日本の作家を交えたいくつかの座談会に現れている。韓国において親日文学と呼ばれる日本語文学は、1940年代の国際状況に大きく影響されているが、それも朝鮮文学として捉えていいかどうか、韓国内とは異なった視野で見通したい。
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今後の研究の推進方策 |
朝鮮文学の成熟は、1930年代の既成文壇と新人作家の登場、そして朝鮮プロレタリア文学運動の活発な思想論争によってだと考えられる。だが、この成熟は、1933(昭和8)年の佐野鍋山転向声明による朝鮮プロレタリア文学の瓦解と1938(昭和13)年の第3次朝鮮教育令(皇民化教育(内鮮一体)を受けて、朝鮮文学の将来像は見えないものとなった。つまり、このまま朝鮮の人口を考えた場合、朝鮮文学の購買層に支えられる作家たちに生活の手段はあるのか、また併合下の朝鮮文学に今後も自由が保障されるのか、などの諸問題が朝鮮作家の現実問題として浮上してきていた。こうした朝鮮文学作家の内面を分析することは、世界基準のコロニアル研究の中で重要な位置を占めることになる。 また、第3次朝鮮教育令は様々な時局によって作成されているため、第3次朝鮮教育令と朝鮮教育に関わる周辺親日団体について調査を加えたい。このことについては、朝鮮総督府が刊行する『朝鮮』『文教の朝鮮』を調査することで一端を知ることができる 朝鮮文学は1940年代の親日文学/日本語文学へと変異していくことになるのだが、ここで重要となるのは、①朝鮮プロレタリア文学の主要作家における「転向」思想と、②日本語文学へ至る朝鮮文学の思想である。韓国内における文学研究では、日本語文学は親日文学・親日作家として断罪されて朝鮮文学(韓国近代文学)とは切り離されるか、もしくは「暗黒期」「強占期」のものとして、作家の内面にまでは及ばないものとなっている。「転向」から「日本語文学」へと転移する過程における作家の内面思想は、朝鮮のこの時期においてどのように扱うことができるのか、現在の採択課題を踏まえて時代状況・文学状況・日本内状況など今後多面的に扱いたい。
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