研究課題/領域番号 |
21K00365
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02030:英文学および英語圏文学関連
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研究機関 | 福井県立大学 |
研究代表者 |
小松 恭代 福井県立大学, 学術教養センター, 教授 (70710812)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2023年度: 130千円 (直接経費: 100千円、間接経費: 30千円)
2022年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2021年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
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キーワード | ヨシコ・ウチダ / 強制収容 / 児童文学 / 写真花嫁 / 異文化理解 / 日本の昔話 / 日系アメリカ人 / 日系アメリカ人と日本の表象 / 日系児童文学 / アイデンティティ / 日本的価値観 |
研究開始時の研究の概要 |
日系二世作家ヨシコ・ウチダの作品の根底には日本の文化や伝統への敬意があり、どの作品においても日本文化や日本的な価値観が描き出されている。しかし、ウチダは日系人であることを嫌悪しながら育っており、その考えが変わったのは1950年代前半の日本滞在中の体験が契機だった。 ウチダ作品の研究には日本での体験を知ることが重要であると考えられる。本研究は、UCバークレー校が所蔵するウチダの資料調査によって、日本での体験がどのようにウチダの日系としてのアイデンティティに影響を与え、その後の文学活動と関わるのかを明らかにし、彼女の文学作品における日本文化や日本的価値観の表象の意義を考察することを目的とする。
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研究実績の概要 |
ヨシコ・ウチダは強制収容体験から国家による人種マイノリティ排除の再来防止を作家としての一つの目標としていた。しかし、終戦直後は反日感情が社会に強く残っており、ウチダが1950年代に描いた強制収容に関わる短編はどの雑誌社にも採用されなかった。60年代から強制収容へのリドレス運動が始まり、社会にその問題への関心が高まった70年代後半になってウチダはようやく収容体験を出版することができた。 強制収容を描く代わりに、40年代後半から70年代に精力を注いだのは異文化理解をめざした児童文学作品であった。それらの作品はアメリカを舞台とした物語と日本人の少年少女を主人公とした日本の物語に分けられる。アメリカの物語では、ウチダが理想とした人種を超えて人々が交流する「ひとつの世界」が実現され、日系人と白人が対等の立場で交流し、白人の子供が他国の文化を理解し尊重する日常が描かれている。 日本を舞台にした作品では主人公が住む地域や住まいの様子、日本の習慣や文化が詳細に描かれている。ウチダは1952年から2年間日本に滞在しており、その時の体験がこれらの作品に生かされている。アメリカの子供は物語を読みながら日本の子供の体験や感情を共有し、日本の文化や生活習慣を学ぶだけではなく、自分と共通の人間性を日本人に認めることができる。 リドレス運動が成功した80年代には、ウチダは強制収容を含めて人種差別の問題を堂々と作品に描いており、その一つが『写真花嫁』である。この物語は一世女性の物語として読まれてきたが、日系移民が体験したジェンダー、セクシュアリティ、人種にかかわる多重抑圧の物語でもある。最も大きな抑圧は人種差別であり、物語は強制収容で終わっている。しかし、ウチダは多重抑圧にさらされた日系の歴史を描きつつ、日系であることの誇りを忘れずにその抑圧を生き抜いた一世を讃える物語にしていることを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
1年目は新型コロナ感染症のために、UCバークレー校バンクロフト図書館にYoshiko Uchida Papersの資料調査に行くことができなかった。この研究課題はウチダ作品と日本との関わりを明らかにすることをひとつの目的としており、彼女の日記や未発表作品、エッセイ等の資料を読む必要がある。ウチダ作品と日本との関わりを知る手段がなく、計画通りに研究を進めることができなかった。そのためにこの研究に遅れが生じている。 今年度は昨年度に引き続き、バンクロフト図書館で調査することができたので、収集した資料の分析を進めてその結果を論文にまとめている。
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今後の研究の推進方策 |
UCバークレー校バンクロフト図書館のYoshiko Uchida Papersで収集した資料の分析を進め、ウチダ作品に反映されている彼女と日本とのかかわりを明らかにする。ウチダには『ぶんぶく茶釜」をはじめとして日本の昔話を英訳した作品が数編あるが、今後は日本の少年少女の物語を中心に分析を進める。ウチダと同時期に日本を描いた児童文学作品との比較も行う。アン・ハラディの『トシオとタマ』(1949)は米軍に群がる子供たち、過度に封建的な農村、家庭や社会での女性の低い地位などの描き方にオリエンタリズムの眼差しが感じられるが、ウチダは強制収容体験によりアメリカの子供たちの異文化理解と他文化尊重を目指して日本の物語を書いていたと思われる。対等な立場で日本や日本人を表象しているのかについても検証する。 1950~60年代は冷戦下でアメリカが日本との良好な関係構築を進めていた時期であり、この点を考慮に入れてウチダの日本物語を検証する必要があるだろう。Edward Tangはウチダがアメリカの子供に向けて多数の日本の物語を書いていることから、彼女は日米の架け橋となることをめざしていたと述べているが、この点についても考察する。 また、1952年から2年間の日本滞在時の民藝作家とウチダの親交を論文にまとめたい。アメリカの美術関係の雑誌に民芸作家の記事を書いて紹介につとめていたことがわかっている。それらの資料等から民芸作家がウチダに与えた影響を明らかにする。
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