研究課題/領域番号 |
21K00411
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02040:ヨーロッパ文学関連
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
志々見 彩 (山崎彩) 東京大学, 大学院総合文化研究科, 准教授 (30750046)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,900千円 (直接経費: 3,000千円、間接経費: 900千円)
2025年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2024年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2023年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2022年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2021年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | イタリア文学 / 第二次世界大戦 / トリエステ / 記憶 / 強制収容所 / 国境 |
研究開始時の研究の概要 |
トリエステは多民族が共存する国境の町であったが、ここで20世紀初頭に書かれたイタリア語文学は、イタリア文学史の中で重要な地位を占めている。しかし、ユーゴスラヴィア軍の占領とその後の国境線の度重なる移動、国連直轄統治、難民の流入といった前代未聞の出来事が次々に起こり、町が最大の危機に直面した第二次世界大戦終結から十年間の混乱期については、興味深い文学の蓄積があるものの、その研究はまだ進んでいない。本研究においては、これまで検討されてこなかったこの混乱期に注目し、トリエステとその周辺地域の人々が経験した過酷な体験の「記憶」が、どのように文学として言語化されているかということを検討する。
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研究実績の概要 |
トリエステ出身のマリーザ・マディエリ(1938-1996)について分析に取りかかった。第二次世界大戦後、ユーゴスラヴィア領土となったイストリア半島にいた多くのイタリア系住民が難民となったが、マディエリはそのような難民として9歳の時にトリエステへ来て、難民キャンプであった穀物倉庫「シロス」で成長した。マディエリの残した回想録Verde acqua (『水緑色』1987)を取り上げて、時を経て「記憶」から当時の感情が取り除かれた後に残される言葉のあり方を考察した。 また、引き続きクラウディオ・マグリス(1939- )についての分析も続行した。マグリスの執筆活動は新聞の文化欄へのエッセイと虚構作品のふたつに分かれている。前者の執筆、つまり新聞の文化欄のためにマグリスが収集したエピソードは、しばしば、その後で何年もたってから彼の虚構作品の中に取り込まれることがある。それはちょうど、十四世紀にボッカッチョが『デカメロン』執筆の際におこなった作業と似ている。『デカメロン』の構造と同様に、マグリスの小説にも独特の構造が見られる。ここに着目し、マグリスの小説構造が年を経るごとに複雑になっていったことを指摘して、その意味について考察した。 プリーモ・レーヴィ(1919-1987)については、過去の文学作品、特に、ダンテ『神曲』やアリオスト『狂乱のオルランド』といった中世・ルネッサンス期の古典的文学作品が材源として利用され、それまでにない新しい体験を語る際に、すでに読者に定着している古典文学作品のイメージが利用されているということを考察し、公開講座での講演という形で発表した。 2023年はイタリアで文献の調査することもできた。研究者たちと会って、トリエステでは、資料収集に加えてクラウディオ・マグリスに会うこともできた。そこでマディエリについて尋ね、研究の着想を得た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
マディエリについての考察を深めていく必要がある。また、マディエリについては発表もしなければならない。マグリスの作品の翻訳を進めなければならないところ、他の書籍の翻訳に時間を取られていてなかなか進められてない。
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今後の研究の推進方策 |
時間が経過するにつれて、記憶は次第に最初の複雑さを失って、単純な形になっていく。その様子は、水に削られた石が次第に丸くなっていく様子に似ている。遠い日の記憶は、ごつごつとした「本当らしさ」を失って、さらになんらかの虚構を加えられて言語化される。その様態を、引き続き、トリエステという常に国境線をめぐって争いが起きていた町において書かれた文学に着目して分析していきたい。 これまでのマグリスやマディエリの作品を読んだ上で、ばらばらに断片化された記憶をどのようにひとつの作品にまとめるかということを考察する必要性に気づいた。断片化された記憶はどのようにして言語化されうるのか。 プリーモ・レーヴィの場合には、まず、詩を書くという行為があり、次に、断章が書かれた。そして、それらがひとつのより大きな作品へと統合されていった。マリーザ・マディエリの作品には日記と回想が交互に現れて現在から過去へと絶えず跳躍を繰り返すことによって過去が呼び戻される。そして、クラウディオ・マグリスは過去の出来事を収集し、それらを非常に凝った構成の中に配置する。記憶が言語化され、さらにテクストになる課程について、もう少し考えてみたい。 また、記憶を小説として書くという作業について、まだ読まなければならない作家が数多くいる。イストリアからトリエステに難民としてやって来たもう一人の作家フルヴィオ・トミッツァ(1935-1999)の作品も考察する必要がある。また、ハンガリーからイタリアへやってきて、その後トリエステに住んだジョルジョ・プレスブルゲル(1937-2017)や、アウシュヴィッツから生還し、その後イタリアに移住してイタリア語で書いたエディス・ブルック(1931- )の作品も分析したい。
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