研究課題/領域番号 |
21K00462
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02050:文学一般関連
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研究機関 | 都留文科大学 |
研究代表者 |
菊池 有希 都留文科大学, 文学部, 教授 (70613751)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2023年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2022年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
2021年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | 北村透谷 / 『蓬莱曲』 / 資本主義 / 絶滅 / annihilation / 加速主義 / フレデリック・ロルドン / バイロン / カーライル / 崇高 / 山岳の美学化 / 風狂 / 比較文学 |
研究開始時の研究の概要 |
北村透谷は、イギリス・ロマン主義の自我表象・自然表象の方法に強く影響されながら、同時に、中世日本の叙情(自我表象)・叙景(自然表象)の文芸的伝統に連なろうとしていた。そしてその際、彼がイギリス・ロマン主義の方法と中世日本の文芸的伝統の結節点に見据えていたのが、〈自我の無化〉への志向であった。本研究は、そうした透谷の文学的・思想的な試みを、東西文化比較の可能性を潜在させた重要な知的遺産として捉えつつ、イギリス・ロマン主義と中世日本文芸それぞれの〈自我―自然〉表象において〈無我〉が持つ意味をテクスト分析から明らかにし、両者のあいだの対話の可能性を具体的に探究することを目的とするものである。
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研究実績の概要 |
令和4年度は、本研究におけるキーコンセプトである「無化」(annihilation)をめぐって、その問題系の射程を確認しつつ研究をおこなった。‘annihilation’ は「絶滅」とも訳し得る語であるが、〈絶滅〉は、近年、加速主義の思想との関連で問題化されることの多いテーマである。具体的には、社会的なイノベーションを起こすべく現在の資本主義のシステムを徹底的に推進すべしとする加速主義の思想において、反動的な〈絶滅への渇望〉(the thirst for annihilation)(ニック・ランド)が見て取れるということを踏まえながら、加速主義をめぐる言説において「絶滅」がどのように論じられているのかを調査し、カーライルの「(自我の)無化」(Annihilation (of Self)をめぐる思考と、それを自覚的に受容した北村透谷の作品における「(自我の)無化」(Annihilation)の表象とがいかなる現代的意味を持ち得るかについて考察をおこなった。 そこで注目されたのが、北村透谷の劇詩『蓬莱曲』のクライマックスにおける、大魔王が人間社会を「罪の火」で焼き滅ぼすという黙示録的な場面であった。大魔王の表象に現代資本主義の問題性に通じるものが多く見受けられることを確認しながら、その大魔王の服従の命令を拒否する柳田素雄というキャラクターに、人間社会を「無化=絶滅」させ得る現代のグローバル資本主義の論理に通じる破壊性にからめとられることをよしとしない透谷の自我の反映を見て取り、ここに『蓬莱曲』という作品の先駆性・現代性があると結論づけた。以上の考察は、2022年12月17日にオンライン開催された、早稲田文芸・ジャーナリズム論系主催講演会での「近代詩と現代史をつなぐ」と題した講演にて公にし、同一の題で『早稲田現代文芸研究』第13号(2023年3月)にて活字化した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初の計画では、令和4年度は中世日本美学における〈自我の無化〉の問題について中心的に考究する予定であったが、加速主義の主唱者のニック・ランドの著書 The Thirst for Annihilation (1992)を読む中で、本研究のキーコンセプトとして位置づけている‘annihilation’の思想的文脈をおさえておく必要を強く認識することとなった。そのため、ニック・ランドの所謂〈絶滅への渇望としての加速主義〉の問題系を包括的に把握するための文献調査とその読み込みに時間を費やすこととなり、中世日本文芸における〈自我の無化〉の問題の検討を当初の予定より進めることができなかった。また、それと同時並行的に進めるべき、カーライルの「(自我の)無化」(‘Annihilation (of Self)')の思考の源流にある18世紀ドイツ文学・思想とカーライルの文学・思想それ自体との関係性の調査も、やはり十分に展開することができなかった。 だが、一方で、〈無化=絶滅〉としての‘annihilation’の現代思想上の位置づけを把握できたことは、本研究全体の現代的な意義を意識化することにつながったという点で、大きな収穫であった。また、令和4年度は、明治書院の高校国語教科書『文学国語』の教材である伊東静雄の「羨望」と多田智満子の「韜晦」の指導資料の執筆を手掛けたが、その中で、本研究における自然と自我の関係性についての考察の成果を活かし得、かつ指導資料執筆の作業からも本研究を進める上で新たな着想を得られたことも収穫であった。 以上から、中世日本美学における〈自我の無化〉の問題についての考究については遅れが否みがたくあるものの、現代思想の文脈からの「無化」の位置づけや、〈自然―自我〉の詩的表象に関して新たな知見が得られたことを収穫と捉え、「やや遅れている」と自己評価する。
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今後の研究の推進方策 |
令和5年度は、令和4年度において進めることができなかった中世日本美学における〈自我の無化〉の問題の考究を主軸に据えて調査・考察をおこなってゆくつもりであるが、現在の見立てでは、中世日本における、〈有心の美〉を超える〈無心の美〉の成立の過程の中に、カーライル受容の成果として透谷がおこなった‘annihilation’の美学化の理路を解明するヒントがあると考えている。久松潜一や大西克礼らの中世日本美学論を参照するなどしながら、中世日本美学とヨーロッパ・ロマン主義の詩学との結節点を探ってゆくつもりである。 また、令和4年度に中心的におこなった、現代思想の文脈からの‘annihilation’についての考察の過程において得ることのできた知見を活かして、カーライルの‘annihilation’をめぐる思考についての再解釈についても公けにしたい。カーライルの思想が資本主義の精神(特に、シュンペーターの「創造的破壊」の考え方)と親近性があることはすでに指摘されているところであり、そのことを踏まえつつ、カーライルの「自我の無化」(‘Annihilation of Self’)の思想の現代的可能性について論じることで、本研究全体の現代的意義をさらに明らかにすることができると考えている。
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