研究課題/領域番号 |
21K12854
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分01040:思想史関連
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
齋藤 拓也 北海道大学, メディア・コミュニケーション研究院, 准教授 (70759779)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2024年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2023年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2022年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2021年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
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キーワード | 政治的パターナリズム / 幸福主義批判 / 自然法論 / パトリオティズム / カント / エルンスト・フェルディナント・クライン / 宗教の啓蒙 / 憲法パトリオティズム / 言論の自由 / 検閲 / ヨハン・アダム・ベルク / 啓蒙 / 共和制 / 専制批判 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、イマヌエル・カントの政治思想における主観的で内面的な原理(格率や思考様式)の意義をパトリオティズムが論じられた知的・政治的文脈に着目して考察し、市民的体制(共和制)への漸進的改革の構想のなかで想定されている君主と市民の主体的な関与のあり方を解明するものである。カントは規範的な政治体制の理念を掲げるだけではなく、君主と市民の主体的関与によって望ましい政治体制に接近する可能性についての省察を、様々な政治的言説のコンテクストを経て深化させている。本研究では啓蒙、宗教、後見主義批判、フランス革命をめぐるコンテクストを設定し、カントのパトリオティズム論の形成過程と射程を明らかにする。
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研究実績の概要 |
今年度の研究では、カントの1790年代のパトリオティズムに関する議論の進展を、プロイセンの国家官僚であり、プロイセン一般ラント法の作成に携わったエルンスト・フェルディナント・クライン(1744-1810年)との思想的交流から明らかにした。クラインは、1784年の『ベルリン月報』の論考で、カントの理性の公的使用と私的使用の区別と類似の論理で啓蒙を擁護したことで知られるが、本研究では、その後さらにクラインがカントと同様に家父長的な統治の原理を批判していたことに着目した。 ベルリン啓蒙の重要人物の一人であったクラインは、当時広く読者を獲得していたクリスティアン・ガルヴェの功利主義的統治原理に対して、1789年の著書でカント哲学の立場から義務にもとづいて権利を保障する政府の重要性を説き、1790年に『ベルリン月報』に掲載された論考では賢明な政府の下で広がるパトリオティズムを論じている。さらにクラインは1789年にカントと数通の書簡を交わし、自らの論考に言及しつつ、立法者の恣意の制限や自由の制限の撤廃の仕方についてカントに意見を求めている。 この交流は、ガルヴェへの批判を含むカントの「理論と実践」(『ベルリン月報』1793年9月)における幸福主義的統治(専制)批判とパトリオティズム論の内容に一定の影響を及ぼしたと考えられる。カントはクラインと同様に、慈愛の原理にもとづく幸福主義的で家父長的政府(専制)と、権利の原理にもとづいて市民的自由を保護するパトリオティックな政府を区別しているからである。しかし、カントは後の著作でパトリオティックな政府の定義を変更しており、クラインとは明確に異なる方向性を示すようになる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究では、クラインとカントの思想的交流を考察する過程で、クラインとカントの書簡のやり取りを分析し、クラインがその中で自らの論考や著書(『ガルヴェ教授への手紙』1789年、『自由と所有』1790年)等に言及し、自らの思想がカントの道徳哲学の成果に依拠したものであると主張していることを明らかにすることができた。クラインは、カント主義者の観点から、幸福主義的統治の問題を批判的に検討し、書簡の中でカント自身にも同じ問題に取り組むように促しており、カントの幸福主義的統治(専制)批判の一つの重要なコンテクストを形成したと考えることができる。 さらに、上記の分析からは、クラインとカントの類似性、あるいは前者の後者に対する影響をかなり大きく見積もる先行研究(Hinske 2000, Fiorillo 2005)への疑問も生じた。クラインがカントの『理論と実践』(1793年)に先んじて幸福主義的統治を批判する議論を展開したことはたしかである。しかし、本研究では、カントは『理論と実践』の後に、専制と共和制に関する議論を発展させ、クラインとは異なるパトリオティズム論を展開したことが明らかになった。『理論と実践』以後の議論の発展を考慮すると、クラインとカントが市民的自由、よき統治(政府)、政治的自由、社会契約、国家への服従、言論の自由に関して同じような見解を抱いていたとみなすことは困難である。 今年度はカントの政治思想に関する国際会議(オスロ大学)に出席し、以上の研究成果に関する報告を行い、新たな研究動向に触れることもできた。以上から、研究計画に関して概ね順調に進展していると考えることができる。
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今後の研究の推進方策 |
本研究は、これまでに18世紀末のプロイセンにおける啓蒙の言説、教会信仰の啓蒙、政治的パターナリズムの批判といった論点に着目し、カントのパトリオティズム論の形成過程を明らかにしてきた。いずれの場合にも、カントは幸福という目的が優先され、規範とされるべき道徳性や権利が軽視されていることを批判し、道徳性や権利が幸福よりも優位に置かれる道徳の規準をもつことの重要性を説いている。今年度の研究では、『理論と実践』(1793年)における政治的パターナリズムの批判では、為政者のもつ政治的な行為の指針(格率)が以上のような視点から考察されていたことが示された。 しかし、『理論と実践』に対する『ベルリン月報』誌上のF.ゲンツの論評(1793年12月)とA. W. レーベルクの書評(1794年2月)は、為政者の政治的な格率を問題にするだけでは、政治的パターナリズムの問題を解決できないことを指摘するものであった。次年度は、上記の書評の後にカントが展開した共和制とパトリオティズムをめぐる議論を再構成し、『永遠平和のために』(1795年)と『人倫の形而上学』(1797年)におけるパトリオティズム論の新たな展開を明らかにしたい。
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