研究課題/領域番号 |
21K12941
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分02020:中国文学関連
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
岩崎 華奈子 九州大学, 人文科学研究院, 専門研究員 (30822887)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,550千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 1,050千円)
2025年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2024年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2023年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2022年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2021年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 封神演義 / 版本研究 / 周之標 / 盛明雑劇 / 呉姫百媚 / 戯曲 / 妓女 / 中国古典小説 / 明末清初 / 花案 / 白話小説 / 出版文化 |
研究開始時の研究の概要 |
明代の章回小説『封神演義』について、本文の分析と出版関係者の調査により、編纂・出版の過程と背景を解明する。 明末当時、俗書の編纂や出版には科挙受験生を中心とした若年知識人が多く従事しており、『封神演義』の書籍化にも同様の人々が関与したと考えられる。本研究では、序文を著した李雲翔・周之標、および彼らをとりまく知識人コミュニティについて調査し、彼らの出版活動を通して、通俗小説の出版と享受の具体的な状況を明らかにしたい。 また、本文の用字・語彙等を手掛かりに、故事の来歴や挿入時期、編纂者の相違など、本小説の成立過程を検討する。これより明清通俗小説の成立過程や編纂手法について一例を示したい。
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研究実績の概要 |
本研究は、明代の白話章回小説『封神演義』が書籍として完成され、印刷出版された経緯の解明を目指すものである。本年度は主に以下の文献調査活動を行った。 (1)東洋文庫蔵『新刻鍾伯敬先生批評封神演義』 このテキストは清代に校訂および刊行された「四雪草堂本」に分類され、版心下段に「四雪草堂」と刻し、康熙34年(1695)のチョ[禾+者]人獲(四雪草堂は彼の書斎名)序を持つ19巻本である。これと特徴の一致する版本が、九州大学附属図書館濱文庫に蔵される。報告者は以前、濱文庫蔵本を用いて「四雪草堂本」の調査を行った(「『封神演義』四雪草堂系版本三種について」、『中国文学論集』第50号、2021年12月)が、該本は全100回のうち第51回(巻10)以降、版心下段に「四雪草堂」の刻字がなく、第50回(巻9)までと版が異なるのではないかと推測した。そこで東洋文庫蔵本を実見調査した結果、巻10(第51回)以降も全葉に「四雪草堂」の刻字が認められた。このほかにも濱文庫蔵本との相違点を複数確認することができた。句読点に相当する圏点は両本ともに附されているが、そのサイズや位置が異なる。濱文庫本はやや大きく、ときに明らかに不適切な位置に附されていることがあったが、東洋文庫蔵本の該当箇所には圏点がなかった。両本が異版であることは明らかであり、おそらく濱文庫蔵本の方が後印と考えられる。 (2)国立国会図書館蔵『新刻鍾伯敬先生批評封神演義』 本テキストも「四雪草堂本」に分類される版本であり、巻数や版式も(1)と一致するが、版心下段の刻字が東洋文庫・濱文庫蔵本と異なる。各巻の第1~2葉に「四雪草堂」、末1~2葉に「崇德書院」と刻され、間の葉は全て空欄である。崇徳書院は乾隆58年(1793)に四雪草堂主人チョ[禾+者]人獲の編纂した『隋唐演義』を刊行しており、『封神演義』もこれと近い時期の重刻本かと推測される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本務の多忙により研究全体の進捗に遅れが生じている。次年度は主に編纂関係者の調査を行う計画だが、本年度未済の本文校勘・検証も継続して行っていきたい。
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今後の研究の推進方策 |
令和6年度は李雲翔の著書『諸子抜萃』を対象に調査を行う。本書は周から明までの子書から文章を抜萃収集し三十六部門に分類したもので、合計88名の「参閲師友姓氏」(共同校訂者)が記されている。幅広い協力者があったと思しいが、その中の一部著名人については校訂に関与した事実があったか疑わしく、書籍に箔をつけるための「広告塔」に過ぎない可能性もある。現時点でおよそ三分の一程度の人物について『四庫全書』データベース検索により出身地や仕官経歴などを洗い出しているが、今後は地方志や書目などを活用して無名の人物についても可能な限り生平を明らかにしていく計画である。
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