研究課題/領域番号 |
21K12963
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分02040:ヨーロッパ文学関連
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研究機関 | 明治大学 (2022) 静岡県立大学 (2021) |
研究代表者 |
浅間 哲平 明治大学, 商学部, 専任講師 (00735475)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,550千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 1,050千円)
2025年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2024年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
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キーワード | マルセル・プルースト / ジョン・ラスキン / 唯美主義 / ロベール・ド・ラ・シズランヌ / 美術史 / 美学 / ゴシック / 大聖堂 / ゲーテ / シラー / ディレタンティズム / 愛好家 / 蒐集家 / コレクター / プルースト / 小説 / フランス文学 / アマチュア |
研究開始時の研究の概要 |
「芸術」は完成された自律性の中で論じられがちであるが、そこには失敗、周縁、真似といった現象も組み込まれているのではないか。 このような仮説を例証するために、まず、プルーストに先行する作家(ゲーテ、ラスキン、ボードレール)からの影響を検討する。これは「アマチュアリズム」と近いディレタンティズム、唯美主義、ダンディズムからプルーストが得た思想を検証するものである。 次に、小説の中に現れる「愛好家」たちを分析する。これらの人物と「私」がどのような関係を築いているのかを見ることによって、プルーストの「アマチュアリズム」についての態度が明らかになるはずである。
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研究実績の概要 |
本研究は、プルーストより先にラスキンをフランスに紹介したロベール・ド・ラ・シズランヌに注目した。この批評家によって書かれた『ラスキンと美の宗教』(1897)は、プルーストに多くの影響を与えたのである。この著作の影響のもと、美を信じるという唯美主義者(審美家)として、プルーストはラスキンをとらえていた(社会思想家としてのラスキンへの言及はほとんど見られない)。 プルーストは唯美主義者ラスキンについて研究した結果、1903年に書かれたことがわかっている『アミアンの聖書』の翻訳に付した序文で、ラスキンを「偶像崇拝の罪」で弾劾することになる。 この序文が書かれるまでの過程は非常に複雑であるので、この概念の生成をできるだけ厳密に跡づけることを次に目指した。まず、1900年から1904年までプルーストは、ラスキンについて11本の雑誌記事を執筆している。このうちの3本が変更を含みつつ序文に取り入れられた。また、その間プルーストは翻訳を行うとともに、厖大な数の訳註を準備していた。その中には「偶像崇拝」と関係づけられるものが多数含まれている。そして、発表されたこれらの文章以外にも翻訳のための7冊の草稿帳(N.A.Fr. 16616, 16617, 16623, 16628, 16629, 16630, 16631)がフランス国立図書館には残されている。 これらを厳密に読み解くには、それぞれの論考の理解だけではなく、それらの錯綜した関係について実証していく必要があることがわかってきた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
プルーストが唯美主義者ラスキンを批判するときに、「偶像崇拝」批判の対象としてラスキンとともに名指しされているロベール・ド・モンテスキウについても考慮に入れる必要があると考え、ラスキンとモンテスキウを比較しながら、プルーストが言う「偶像崇拝」とはどのような意味があるのかを検討した。 一例を挙げるならば、本研究が本年度特に考察の対象としたのは1905年8月15日発行の月刊誌「生活芸術」(Les Arts de la vie)に発表された「美の教師」という記事についてである。「生活芸術」は作家で美術批評家のガブリエル・ムレにより1904年に創刊された雑誌であるが、モンテスキウも論考を投稿するなど、プルーストとモンテスキウの関係を考える上で、重要な媒体である。 「美の教師」は、モンテスキウの記した複数の美術評論を対象とするもので(1897年刊行の『考える葦』、1899年刊行の『特権的祭壇』、1905年刊行の『美を天職とする女たち』)、プルーストはラスキンの文章を引用しつつ、モンテスキウの唯美主義的振る舞いを説明しようとしている。この論考は、フランス国立図書館所蔵の草稿(N.A.Fr. 16636)に夥しい訂正がなされているにもかかわらず、これまで専門家からも等閑視されてきた。 本研究は、1900年から1905年にプルーストによって書かれたすべてのテクストを対象に、美を信じるという唯美主義の文脈の中、「偶像崇拝」批判がどのように成立し、発展されたのか明らかにしようと努めた。
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今後の研究の推進方策 |
バルザック(1799-1850)、バルベー・ドールヴィイ(1808-1889)、ゴーティエ(1811-1872)と、プルーストが愛読していたフランス人作家でダンディズムの成立に関わったものは多い。しかし、イギリス由来のダンディーをフランスで定式化し、プルーストにそれと認定された作家は唯ボードレール(1821-1867)一人である。 特に、「専門家」と「アマチュア(愛好家)」を対立させることによってダンディズムを単なる閑暇から引き離し普遍性へと結びつけた論考「現代生活の画家」(1863)は、このニュアンスに富む概念の歴史の中でも重要である。 そこでは、財産の剰余から外的な美を追求し「自己への信仰」を確立するダンディーと、詩作という労働をとおして貧しき「他者」そのものになるという詩人が対比され、「しろうと画家」としてのコンスタンタン・ギースの現代的可能性が指摘されている。 本研究は、このようなボードレール像をプルーストがどのように引き継いだのかを考察する予定である。
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