研究課題/領域番号 |
21K13238
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分06010:政治学関連
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研究機関 | 国際日本文化研究センター (2022-2023) 立命館大学 (2021) |
研究代表者 |
西田 彰一 国際日本文化研究センター, 研究部, プロジェクト研究員 (00816275)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,680千円 (直接経費: 3,600千円、間接経費: 1,080千円)
2025年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2024年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
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キーワード | 政治教育協会 / 水野錬太郎 / 内務省 / 官僚 / 政治教育 / 国体論 / 神道 / 政官関係 / 官僚制 / 植民地研究 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究の概要は、戦前日本の官僚、政治家であり、内務行政のスペシャリストとして知られた水野錬太郎を対象に、その政治思想を分析し、戦前の日本の内務行政の発展に水野の政治思想がいかに反映されたのか、さらに当時の政官関係や植民地への影響の拡がりを含めて明らかにすることである。この試みによって、従来制度史研究を中心としていた内務省研究さらには戦前日本の行政研究に対して、水野錬太郎が与えた影響を問い、さらには政官関係や植民地研究の進展にも貢献することを期している。
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研究実績の概要 |
本研究の概要は、戦前日本の官僚、政治家であり、内務行政のスペシャリストとして知られた水野錬太郎を対象に、その政治思想を分析し、戦前の日本の内務行政の発展に水野の政治思想がいかに反映されたのか、さらに当時の政官関係や植民地への影響の拡がりを含めて明らかにすることである。本年度は、主に水野と同年代の学者や官僚たちの政治思想と行動について注目した。まず、水野と同年代の学者で、共に神社制度調査会の委員を務めていた筧克彦の思想について、彼の戦前における戦争と鎮魂の認識についての議論や、キリスト教と古神道、神ながらの道との関係についての議論をとりまとめ、それぞれ論文集に寄稿した。 また筧と上杉慎吉や井上哲次郎らと比較して分析し、筧が井上から、上杉が筧から影響を受けつつも、それぞれ異なった展開を遂げていったという国体論の内部での影響関係やその移り変わりについても論じた。 ほかには、植民政策研究の一環として、加藤完治の農業教育思想についても論文を発表した。水野錬太郎も力を入れていた植民地開発について、農業移民の観点から植民地政策に深く関与していた人物が加藤完治である。その加藤は、筧克彦の「神ながらの道」の信奉者であったことは知られていたが、どのような交流からその思想を身に着けたのかについては具体的には論じられてこなかった。報告者はその点に注目し、加藤と筧の具体的な人間関係や思想的な影響関係について論じた。 上記の研究以外にも、次の3点で成果があった。まず、①学会において、昭和10年代の文部省行政構想についての大会研究報告にコメンテーターとして参加し、次に②大正期のデモクラシー運動に影響を与えた茅原華山とそのスポンサーであった山内俊美についての人物研究の概要をとりまとめ、最後に③作家横光利一の友人で、哲学者・教育学者であった由良哲次の研究についても簡単なエッセイをまとめた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
令和5年度は昨年度の今後の研究方針に従い、既発表の研究報告についての論文化に努めた。特に水野錬太郎とは国家観が異なるものの、学者として交流を有していた筧克彦についての論文化については、複数の論文を刊行することができた。まずは、戦争と鎮魂に関する認識、及びキリスト教に関する議論について、深く考察を進め、また、筧克彦が井上哲次郎や上杉慎吉などと国体論に関する相互の影響関係について論じた。そして、三つの論文集にそれぞれ論文を寄稿することができた。 ほかにも、令和5年度における目標のひとつであった、1920年代から30年代にかけての日本の植民地政策についての論文を刊行することができた。本稿については、満蒙開拓青少年義勇軍の指導者であった加藤完治についての論文である。都市部の比較的裕福な一族に生まれた加藤にとっては、「農民」という生き方は、生命の創出や共同体の保持に直接携わる点で、憧れの感情を抱く生業であった。そこで、「農民」を保護するために、農村の共同体そのものを抜本的に新たにつくり変えなければならないと考え、青少年の指導に取り組み、その延長線上において、満洲への青少年の集団移民を主導するようになったのである。水野とは直接的なつながりはないものの、こうした農村の青少年に対する指導への意欲については、加藤ほど精神主義を前面に押し出してはいないものの、地方自治や農業政策の観点から、水野も同時代人として共通する問題意識を有していた。 しかしながら、積み残してしまった課題もある。特に1920年代における、水野と政治教育のつながりについては、令和5年度においては論文化まではいたらなかった。もっとも、これについては、令和6年度中に論文集に寄稿予定であるので、そこでその課題を解決したい。また、宗教行政の構想をめぐる床次竹二郎と水野の関係についても、今後論文化を進めていきたい。
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今後の研究の推進方策 |
令和6年度は、三つの方面から研究を推進したい。第一に1920年代における、水野と政治教育のつながりについての論文化である。水野は知識に基づいた政治教育の普及に努めようとしていたが、その様相を彼が総裁を務めた政治教育協会を中心に論じることとする。すでに今年度中に刊行予定の論文集にエントリーしているので、その確実な提出に努める。 第二に宗教行政の構想をめぐる床次竹二郎と水野の関係についての論文化である。床次は内務省地方局長時代の外遊経験から、宗教が西洋諸国において道徳の精神的基盤になっているとみなすようになり、宗教を積極的に国民道徳観念の普及に活かそうという発想を有するようになっていた。そして、内務次官就任後、神道と仏教とキリスト教の指導者たちを一同に集めて、国家のために積極的に活用しようと自ら主導した。床次の構想は、水野のように物質的価値に基づいて神社を消極的に活用しようとした内務省の主流とは異なるものであったが、徐々に床次の追従者は内務省の中でも増えていった。水野を引き合いに出しつつ、この床次の宗教行政構想を明らかにし、論文として投稿したい。 第三に内務省「衰退期」(1930年代)における水野とその側近たちの政治思想の研究を実施する。水野錬太郎(貴族院議員)を総裁、守屋栄夫(内務官僚を経て衆議院議員)を理事長とした議員グループである大日本昭和連盟(1930~1942年)について、その機関誌『あかるい政治』を中心に分析に取り組む。水野が政治的存在感を維持していたのは、田中義一首相との対立による優諚問題で大臣を辞職する1920年代末頃までであるが、その後守屋栄夫ら水野の内務省時代の側近とともに大日本昭和連盟を結成していたことについてはあまり知られていない。この大日本昭和連盟の活動と歴史的位置づけについて明らかにし、論文化に向けて邁進したい。
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