研究課題/領域番号 |
21K20042
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研究種目 |
研究活動スタート支援
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
0103:歴史学、考古学、博物館学およびその関連分野
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
豊田 裕章 大阪大学, 大学院人文学研究科(人文学専攻、芸術学専攻、日本学専攻), 招へい研究員 (00880262)
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研究期間 (年度) |
2021-08-30 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,120千円 (直接経費: 2,400千円、間接経費: 720千円)
2022年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2021年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 後鳥羽上皇 / 上賀茂神社 / 笠懸 / 直垂 / 水無瀬殿 / 水無瀬離宮 / 喫茶養生記 / 馬場 / 平安京 / 水無瀬殿(水無瀬離宮) / 大倉御所 / 笠懸などの騎射と馬場 / 雅成親王 / 侍所と長舎状建築 / 長廊 / 平清盛の別荘都市福原 / 大倉御所を中心とする初期鎌倉 / 宋代の製茶、喫茶法 / 中世都市 / 高陽院 / 平安・鎌倉時代の庭園や建築物 / 院御所 / 水無瀬 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、後鳥羽上皇が、京内外に多数所有した後鳥羽上皇の御所(院御所)と当時における広義の政治(政務、儀式、文芸、武芸、芸能、修法等)との関わりについて、上皇、天皇、女院、摂関、有力近臣の動きに着目して、これを歴史的な推移の中に位置づけ、さらに空間的な考察も行うことにより、後鳥羽院政期における上皇の御所を基軸とする平安京と近郊の政治空間としての全体構造の特質を解明して、日本史にとって大きな転換期となった後鳥羽院政の特色を明らかにするための研究である。そして、これを比較史的に考察を行うことにより、後鳥羽院政期の平安京と近郊を、中世都市史、東アジアにおける都の歴史に位置づけるための研究である。
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研究実績の概要 |
後鳥羽上皇の笠懸等の武芸に関する令和4年度の研究を受けて、令和5年度は、後鳥羽上皇の上賀茂社参籠の際に笠懸が行われた馬場の場所等の比定や後鳥羽上皇と鴨氏(賀茂氏)の氏人との関わり、水無瀬における笠懸がどのような編成で行われたのかというような点に関する考察を進め、それらの研究成果をまとめて、後鳥羽上皇周辺の武人的性格を中心に、国際日本文化研究センターの共同研究の論集に発表した。また、後鳥羽院政期の平安京について、都城制史の中でこれがどのように位置づけられるかに関する研究を進めている。さらに、後鳥羽院政期の水無瀬離宮(水無瀬殿)が営まれる前段階の平安時代の水無瀬や承久の兵乱以後の水無瀬の宗教空間についても検討を行っている。また、平安・鎌倉時代に河陽とも呼ばれた水無瀬やその周辺地域について、研究者の方々と踏査ならびに意見交換を行った。 日本の喫茶史の上で大きな画期となる後鳥羽上皇と栄西の『喫茶養生記』との関わりや当時行われた採茶や喫茶法について、日本だけでなく北宋・南宋時代の採茶や喫茶に関わる文献史料の調査を行うとともに、茶葉の採取、茶葉の生育過程の観察、製茶と喫茶に関する実験による分析を行い、その成果を京都大学人文科学研究所の共同研究会で発表するとともに、同研究所の論集に発表した。 研究成果を広く社会に還元するために、ホームページを作成した。そして、そのホームページに、元京都市考古資料館館長の長宗繁一氏のご協力により作成することができた電子地理情報システムであるKML形式による大阪府島本町における「水無瀬殿関連遺跡発掘調査平面図集成」の掲載も行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
後鳥羽院政期の平安京と近郊の政治空間に関して、政治史的な分析だけでなく、都城制史における位置づけを進めている。 後鳥羽院政期には武芸を通した活動が後鳥羽上皇と鴨氏(賀茂氏)との紐帯の強化につながっている可能性や後鳥羽上皇周辺の武芸嗜好や直垂着用というような諸点から、後鳥羽院政の武人的側面に関して研究を行い、その成果を発表することができた。 また、後鳥羽院政期の文化的側面を喫茶史の観点から研究を行った。後鳥羽院の仰せで撰述されたと推定する栄西の『喫茶養生記』について、日本ならびに北宋や南宋における採茶・喫茶に関する文献史料調査だけでなく、茶葉の採取・観察・実験という、文理融合的な研究方法で進めることができた。そのような研究を通して後鳥羽院政期の喫茶文化を、国際的な広がりの中で、また日本の喫茶史の中で位置づけることを試みることができた。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、後鳥羽院政期の平安京の院の御所を中心とした政治空間に関する図を作成したい。水無瀬殿(水無瀬離宮)の新御所(上御所)の構造について、これまで大まかにその推定案を提示していたものを、現在、法務局所蔵の和紙公図、島本町所蔵の古図の分析によるさらに細かな推定復元を行っているが、それをさらに進めたい。また、後鳥羽上皇の水無瀬殿(水無瀬離宮)の前提となる平安時代中後期の水無瀬に関する検討や承久の兵乱以後の状況についても考察を深め、水無瀬という地域がどのように推移したかについてまとめたい。
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