研究課題/領域番号 |
21K20073
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研究種目 |
研究活動スタート支援
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
0104:地理学、文化人類学、民俗学およびその関連分野
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研究機関 | 九州大学 (2023) 立命館大学 (2021-2022) |
研究代表者 |
夏目 宗幸 九州大学, 人文科学研究院, 助教 (50906732)
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研究期間 (年度) |
2021-08-30 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,120千円 (直接経費: 2,400千円、間接経費: 720千円)
2022年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2021年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 新田開発 / 土地利用 / 迅速測図 / 幕府直轄領 / 歴史GIS |
研究開始時の研究の概要 |
我が国最初の近代的測量図である「迅速測図」に描写された土地利用は、その作成された時期が明治初期であることを鑑み、前近代の姿であるとされる。しかし、明治初期における土地利用は、近世における土地利用の種々の改変の結果としてここに至ったものであり、その成立過程における改変状況を顧慮する必要性がある。本研究では、この点に着目し、明治初期の土地利用につき、混在する二つの要素、すなわち、江戸幕府の農村計画に基づく画一的土地利用の要素と、各地域の土地条件に即した地域的土地利用の要素とを分離・抽出・分析することを試みる。これにより、「迅速測図」に至る近世土地利用の成立過程の一端を明らかにする。
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研究実績の概要 |
今年度においては、新田開発前における将軍の狩猟の影響と鷹場関連職能者の関与に関する解明に関する研究の深化が進んだ。その内、将軍家が鹿狩を行う「御鹿狩之場所」に該当する武蔵野台地については、これまで未調査であった各種史料を参照することにより、寛永期の状況のみならず、元和期についても、一部の状況が新たに明らかになってきた。 その主な成果として、以下の二点が挙げられる。まず一点目としては、寛永期に全国に触れられた法令を比較すると、前述の「御鹿狩之場所」は、関東以外の地域においては存在せず、確実に関東地方にのみ存在する場である事を再確認することができたことである。二点目としては、元和期における武蔵野台地東部地域内は、二代将軍徳川秀忠の治世の下、東に徳川家光の鷹場、西に徳川忠長の鷹場が配置されていた可能性を提示したことである。こうした構造は、家光の将軍宣下に伴って変化した。征夷大将軍となった家光は、元来忠長が利用していた牟礼の鷹場へ進出、一方、権中納言に任じられた忠長は、直前まで上杉景勝に与えられていた府中・八王子の鷹場へ転出していたのではないかと考えられる。その後の忠長自身の失脚により、忠長が鷹場を拝領していた事実に関する記録は殆ど残されていないが、今回の調査によって、忠長鷹場の存在自体と、その具体的な位置、そして変遷を提示することができたと言え、当時の鷹場拝領システムの一旦が明らかになってきたと言える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新田開発前における将軍の狩猟の影響と鷹場関連職能者の関与に関する解明に関する研究の深化が進んだことによる。
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今後の研究の推進方策 |
今後の方針は、引き続き、新田開発計画以前において行われた将軍の狩猟や、新田開発計画に関与した鷹場関連職能者の人物像に関する調査を優先的に実施していく予定であるが、忠長の鷹場に関する想定されていなかった成果が出たことにより、調査する年代を寛永期から遡り、天正期頃までも主な研究対象とする必要が出てきたと言える。
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