20世紀初頭のトリエステは、オーストリア帝国の一都市でありながらイタリアの文学史の上でも非常に重要な場所である。本研究の目的は、イタリア語の一方言であるトリエステ語を母語とする作家たちが標準イタリア語によってトリエステという町独自の文学を創造しようとした試みをたどり、第一次世界大戦前夜におけるトリエステの文化状況を明らかにすることである。分析の対象としては、当時のトリエステを代表する作家、ズラタペル、サーバ、ズヴェーヴォの第一次大戦前の活動に重点を置くことにした。研究に必要な資料(特にズラタペルに関する資料)が日本では手に入りにくいことから、夏休みを利用し、充実した資料のあるトリエステ市立図書館とフィレンツェ国立図書館で資料収集をおこなった。トリエステ市では市立中央図書館に併設されている「イタロ・ズヴェーヴォ博物館」の学芸員の方にお徴話になり、図書館に所蔵されている資料、主にズラタペル、ストゥパリッチの本を数多く閲覧・複写することができた。また、書店も訪れて必要な図書、特にトリエステでしか入手できない類の出版物の購入をおこなった。続いて訪れたフィレンツェにおいては、トリエステでは見ることのできなかった雑誌記事を閲覧することができた。しかし、この記事の複写が許可されなかったために、デジタルカメラで撮影し、後でPDFファイル化して出力するという手段を取った。また、中継地として寄ったパリにおいても「エコール・ノルマル」の図書館で資料収集をおこなった。 このようにして収集した資料に基づいて、23年2月18日に地中海学会定例研究会において発表をおこなった。20世紀初頭のトリエステ文学の研究は日本においてはまだ充分におこなわれていないが、多民族化の進行する現在の日本においても、100年前の多民族都市の文学のあり方を研究することは意義あることと考えている。〔775字〕
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