原爆投下より65年、被爆体験者が高齢化し数を減らすなか、さまざまな形でその体験を次世代へ受け継こうという試みがさかんにおこなわれている。しかし、一方では「被爆体験の風化」という表現が、被爆地・長崎においても現実として認識されつつある。つまり、さまざまな試みにもかかわらず伝え/受け継ぎきれていないという実感が継承の現場に生じている。この試みと現実との差異にはどのような問題が内包されているのか、そしてそれを克服するための手がかりはどこにあるのかを、活動における〈語り〉の分析を通して考察することが本研究の目的である。 平成22年度は、継承の試みをおこなっているグループへのインタビューを中心に研究を進めた。具体的には、長崎をはじめ、同じく20世紀の戦争の記憶の継承に取り組んでいる沖縄、東京、広島において「戦争の記憶を語る」非体験者の活動を見学し、インタビューをおこなった。 長崎においては、しばしば代表的な継承活動として取り上げられる〈平和案内人〉と、〈平和案内人〉のなかから別の組織を立ち上げ、違う方法を模索している〈ピースバトンナガサキ〉の活動に継続的に同行し、活動における語りとインタビューの収集を続けている。結果、〈平和案内人〉が、被爆体験者の体験講話と比較しての「語りの不可能性」を常に意識していること、〈ピースバトンナガサキ〉は、不可能性の認識から出発しつつ、目的を「より伝わる平和案内人活動」に置いていることが明らかになった。一方で、ピースガイドとも呼ばれるように、〈平和案内人〉の活動は、観光産業からは安価で手軽なボランティアガイドとしての役割が期待されていることもわかってきた。この観光産業との親和性の高さは、沖縄や広島においても活動実践者から指摘されている。今後は、観光産業との親和性が「継承」者意識にいかなる影響を与えているかも考察していく予定である。
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