研究課題/領域番号 |
22K00013
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01010:哲学および倫理学関連
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
後藤 弘志 広島大学, 人間社会科学研究科(文), 教授 (90351931)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,900千円 (直接経費: 3,000千円、間接経費: 900千円)
2024年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2023年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2022年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | 人格 / 徳倫理学 / トマス・ヒル・グリーン / ヘーゲル / 紀平正美 / 西周 / 津田真道 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、西洋思想文化の根幹をなし、人間概念との単純な置き換えを許さない人格概念の日本近代初頭における受容の歴史を、①明治20年代における訳語の確立まで、②明治30年代から大正期における国民道徳論と教養主義との対立、③戦時期昭和における国体論、教養主義、マルクス主義との対立という三つの時期に分け、《近代的個人および国民の形成》という新たな時代の要請と、受け皿としての《徳倫理学的土壌》という二つの観点を横軸としながら、とくに第二期と第三期に焦点を当てて、グリーン徳倫理学を核とした思想地図として再構成することを目的とする。
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研究実績の概要 |
本研究は、日本近代初頭における受容の歴史を①明治20年代における訳語の確立まで、②明治30年代から大正期における国民道徳論と教養主義との対立、③戦時期昭和における国体論、教養主義、マルクス主義との対立という三つの時期に分け、《近代的個人および国民の形成》という新たな時代の要請と受け皿としての《徳倫理学的土壌》という二つの観点を横軸とし、とくに第二期と第三期に焦点を当てて再構成することを目的とする。このうち当該年度においては、日本におけるヘーゲル研究の草分けの一人である紀平正美(1874-1949)の思想の淵源を、人格概念受容の第二期に属する阿部次郎、朝永三十郎らと同じく人格主義という思想に求め、そこから国家主義、日本主義へと傾斜する紀平の思想展開を、人格概念に対する紀平の期待から失望へというプロセスとして跡付けた。 これを図式的に示せば次のような結論が得られた。すなわち、person性を、①理性的存在者一般という普遍的属性に求める近代啓蒙主義の原子論的人格概念に反対して、personの個別性を重視する紀平が、②-1)かけがえのない個性を有するものとして国家主義と敵対的なモナド的人格概念と、②-2)関係主義的・徳倫理学的人格概念、すなわち特殊具体的な人間関係の中で求められる役割によって規定され、それゆえに国家主義・日本主義と融和的な人格概念とを混濁させ、後者を前者へと収斂させるという仕方で国家主義を擁護しようと試みながらそれに失敗するに至る。かくして、スペアはいないはずのモナド的人格が、まさに替えの利かない使命遂行により、道具化され、しかも〈犠牲〉の論理的可能性をも奪われるという事態に至る。そこにおいて紀平は人格概念のさらなる日本主義的読み込みの必要を訴えながら、自らはなおも人格主義の立場に固執して国家人格説からは距離を取り、実質的には人格概念に依拠することを断念するに至る。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
令和4年度においては、上記の時代区分の第二期に当たる明治30年代後半から大正期の代表的人格論者のうち、紀平正美、阿部次郎の思想を、さらに令和5年度においては、渡邉徹の思想を、彼らが依拠したヘーゲル、リップス、ロッツェ、J. S. ミル、シュテルンらとの異同を踏まえながら、【原子論⇔関係主義】という同じ尺度の上で正方向あるいは逆方向に読み替えられた可能性も考慮して、各人格論を以下の順により詳細に特徴づけ、さらには第三期の西晋一郎と河合栄次郎の思想にまで同じ手法を適用して、第一期の思想特徴との異同も勘案しながら、【原子論⇔関係主義】という尺度の上に位置づけることを計画していた。しかし、Person概念の内実としての権利・義務について、同概念の翻訳導入の二つのルートである中国における漢訳洋書第三期と日本における蘭学および英学の系譜に目配りしつつ令和4年度に行った調査が予想以上に時間を要した。また、ドイツのミュンスター大学、ドゥイスブルク-エッセン大学、ボーフム大学及び国内諸大学の研究者により共同開催された国際シンポジウム「妥協の文化」(エッセン市、2024年3月7日)での講演「妥協の文法」の準備(人格概念についての辞書研究というアプローチを応用して行ったもの)、さらには本研究に多大な助言をいただいたミュンスター大学クヴァンテ教授の著書『和解せざるマルクス:動乱の中の世界』(仮題、桐原隆弘監訳・後藤弘志・硲智樹ほか訳、人文書院)の2024年内刊行を目指して担当部分の訳稿作成に相応の時間を要したことなどにより、当該年度に公表できた論文は、紀平正美における人格概念についての論文1本にとどまった。
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今後の研究の推進方策 |
令和5年度に行った紀平における人格概念の位置づけについての研究は、紀平がその末尾に「我は日本人なり」と大書して、日本主義の立場を鮮明にした『行の哲学』(1923)の刊行以前の重要著作である『人格の力:修養の方法』(1906)、『哲学概論』(1916)、『自我論』(1916)、『改訂 人格の力』(1917)に依拠した構造的・経時的解明にとどまっていた。そこで令和6年度においては、多作な思想家紀平のその他の著作も含めて、カントに対する紀平の両義的態度、ヘーゲルの人格概念との異同という観点で紀平の国家主義・日本主義と人格概念とのつながりについての考察を深める。この作業は紀平が形式主義的として批判したT. H. グリーンにおける関係主義的人格概念との相違を明確にし、グリーンを中心とした人格概念の思想地図を描くという本研究の目的を達成するために不可欠である。これにつづけて、紀平が座右の好参考書と位置付けて、それと区別するために自著を『自我論』と題することになった渡邉徹著『人格論』(精美堂発行)についての検討を行って研究を加速させ、西晋一郎および河合栄次郎といった第三期の思想家の検討への足掛かりを築くこととしたい。
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