研究課題/領域番号 |
22K00018
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01010:哲学および倫理学関連
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
藤本 一勇 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (70318731)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,990千円 (直接経費: 2,300千円、間接経費: 690千円)
2024年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
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キーワード | 脱構築 / 存在論的主権 / 脱構築的主体 / 主権 / 戦争 / 動物 / 死刑 / 犠牲 / 先端テクノロジー / 亡霊論 / 生政治 / 歓待 |
研究開始時の研究の概要 |
フランスの哲学者ジャック・デリダ(1930-2004)が掲げた「脱構築」の思想が、歓待的な主権(自国民優先主義、同胞優先主義ではない主権)、他者に開かれた主権を主張していく理路を解明する。脱構築された主権とはいかなるものか。その現代的な意義と可能性はどこにあるのか。分裂主権の可能性を、存在論的・超越論的レベルから始めて、政治権力や社会権力との関係、先端科学技術や先端医療との関係、情報やメディアの問題に至るまで究明し、万物・万人に開かれたデリダの「来たるべきデモクラシー」を明らかにする。
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研究実績の概要 |
本年度は、前年度のデリダの存在論における主権性の意味と脱構築作業を踏まえたうえで、さらにその政治的射程を研究した。デリダは、一見中立的・抽象的に見える存在論がつねにすでに政治性や権力性を孕むものであり、そのこと自体を隠蔽することがさらに存在論的な主権の暴力や専制体質を生んでいることを抉り出し批判したが、ひるがえって具体的ないわゆる世俗的「政治」のほうも、抽象的な存在論的政治権力に依拠し、自身の世俗権力を正当化している点を脱構築の観点から、いかにデリダが解明しているかを分析した。いわば存在論的主権と経験論的・世俗的主権との結託構造の脱構築である。『プシュケーI, II』、『他の岬』、『マルクスの亡霊たち』等々における脱構築的「主体」の可能性の議論を、具体的な諸問題(アパルトヘイト、EU問題、国民国家、資本主義、法治国家、神権政治、等々)へのデリダの哲学的介入として研究し、デリダが個別具体的な政治的・社会的諸問題の多様性を通して、一貫してそれらに存在論的主権への依拠と欲望(意識的にせよ無意識的にせよ)を看取し、存在論的主権と政治・社会論的主権が(ときに緊張関係をはらみつつも)補完しあっているメカニズムを問題にしていることを解明した。ただし、重要なのは、この存在論的・政治的循環構造(これも差延の一形態である)は単純な「悪」ではなく、ある種の不可避性を有している点である。デリダはこの悪循環を単純に非難・糾弾し、そこからの素朴な解放理論を説くのではなく、むしろこの悪循環の必然性を承知したうえで、この悪循環を開放的な循環へといかに作り替えていくべきかを模索しており、そこにこそ彼の「脱構築」という作業の定義と内実があると考えた。存在論的・政治的主権の循環メカニズムにある種の亀裂・分裂・内破の契機がいくつかあるが、それを、人権、歓待、自律、決定=決断、法と正義、等の問題圏のなかに探った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
前年度の存在論レベルでの主権論の成果を踏まえて、今年度はさらに具体的な政治・社会のレベルにおける主権の諸問題とのかかわりを研究した。いわばデリダの「政治的・倫理的転回」の時期(1980年代中盤以降)に焦点を当て、アパルトヘイト問題、EU統合問題、世界の右傾化・新保守主義の台頭、経済グローバリズムと新ブロック化、人種差別の変容といった、経験論的・具体的な政治主権が生み出す諸問題との対決を、デリダのテクストや発言のなかに追い、その具体的な主権の現場がいかにデリダの哲学理論に影響を与え、新たに変身してゆく契機になっているかについては、かなりの程度明確にできたと考えている。同様の文脈で1980年代から前景化してくる「法」の問題(批判法学との関係を含め)との関連をもう少し深く研究したかったが、こちらは多少踏み込みが浅くなった。来年度の課題の一つである。他方で、現実的主権の議論のデリダの議論のなかで、人種差別や経済差別と並んで、性差(性差別)の問題が想像以上に重視されていることがわかり、いわゆるジェンダー論やクィア論とのつながりから、デリダの脱構築に新しい光を当てる可能性にも気づき、この側面からの研究が新たに展開できた。この点も来年度に動物論とも絡めて研究していければ興味深い結論が出てくるのではないかと期待される。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度は、まず晩年の1995年以降の主権論(歓待論、贈与論、分割主権論、動物論)にかかわるセミネールを素材にし、『獣と主権者』に至るデリダの思考を追跡し、デリダ主権論の総まとめをする。その際に、まだ不十分にしか扱えていない法の問題と性差の問題、そして軍事の問題をデリダがどのように脱構築するかに重点を置く。いままでと同様にデリダの公刊済み資料を中心に解読を進めてゆくが、体調や諸般の関係で今年度までできなかったIMECでの未公刊講義論の資料調査も再開したい。とくに贈与論について、1978-79の講義の後半部は『時を与えるII』として拙訳で出版したが、前半部分(第一回から第6回)はスイユ社の「デリダ講義集」でも公刊されていない状態なので、IMECで原資料の調査をおこないたい。贈与論はデリダの主権論の核心部であると思われるだけに重要である。また、1996-97年度の『歓待について』のセミネールの翻訳に現在着手中であるが、こちらも並行して進め、本課題研究にその成果を組み込む見込みである。現代世界の新復古主義的な戦争や政治情勢のなかで、デリダの主権の脱構築作業がもつ意義は小さくないと考えられるので、デリダ没後20年ということもあり、主権の脱構築をテーマにデリダ関連の著作を刊行することも計画している。
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