研究課題/領域番号 |
22K00118
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01040:思想史関連
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
細貝 健司 立命館大学, 経済学部, 教授 (00513144)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,860千円 (直接経費: 2,200千円、間接経費: 660千円)
2025年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2024年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | ジャン=ポール・サルトル / 自己性 / 人格 / 非反省的自己意識 / ipseitas / 主体性 / Ipse / ポール・リクール |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、私たちにとって最もなじみ深いこの「私」を成立させている基盤を探し出そうとするものだ。西欧哲学の伝統の中で、それは「私」に先行し、「私」の内的世界の深層に設えられた「自然」(「存在」あるいは「本能」)とされてきた。ただしそのような説明は、「私」の日々の実感にそぐわない。むしろ「私」は人間と人間の「関係」によって成り立っているではないか。それゆえに、「私」は、相手との関係が変わる度に更新され、あるいは他の関係が結ばれる毎に生まれ変わったような実感を持つのではないか。本研究は、このような観点から、存在論や伝統的な精神分析学が提示する「私」の像を全く新しいものへと塗り替えることを目的とする。
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研究実績の概要 |
本年度に始まる研究は、誰もが持ちながら、誰もその正体を知らない「私」という存在を、「人格」という概念を補助線に、西欧思想史の伝統とは異なるやり方で捉えようとするものだ。1年目の研究は、スコラ哲学に始まり、ハイデガーが独自の意味づけをした「自己性」を表す概念「ipseitas」の検討に向けられた。具体的には、ハイデガーの意図を大きく敷衍し「自己性の回路」という考え方に結実させたサルトルと、むしろスコラ哲学の解釈に忠実にそれをとらえ、そこから「至高性」という力域を導き出したバタイユとを取り上げ、両者の「自己性」の考え方を比較した。それにより、サルトルに於いて、「自己性の回路」により構成される特異な「人格」概念を浮き彫りにすることができた一方、サルトルの図式では、「回路」から産出される「人格」とその回路の動因(自己意識)とが異質である点が問題点として残った。それは、「回路」により「未来」に於いて「本来的な」私として創られるという、ある意味で目的論的な「人格」が、その「回路」を牽引する非目的論的で非反省的な「意識」の運動によりなぜ産み出されるのかという問題だ。我々の問題系に引きつけて言えば、人格として時間の中で形成される「私」と、刹那的な意識が指し示す「私」とがなぜ異なるのかという問題だ。この2つの「私」の間の断絶を、本年度は『自我の超越』(1936年)の頃のサルトルの主体概念と、『存在と無』(1943年)の頃のサルトルのそれとの間の思想的断絶に対比させた。また、サルトルの到達した結論とは裏腹に、本研究は「私」の本質解明の可能性を、1936年頃のサルトルの「自己意識」概念の方に多く見ようとした。ここまでの研究は「超越論的意識と自己性の回路」というタイトルの論考となり、『立命館経済学』 第71巻 第2・3号に掲載された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究初年度は到達目標のうちから、以下を行うことを目指してきた:①西欧思想史の中で、主体概念の変遷を「人格」という観点から再整理する。②スコラ哲学からポール・リクールまでの流れの中で「自己性 ipseitas」の概念を再検討し、我々が「人格」という概念で追求しようとする主体性の基盤が何であるかを解明する。当初、②の作業により①が実行できると考えていたが、研究の進展により、①を実行するのに②では不十分なことが判明した。そもそも「人格」というのはかなり多義的な概念であり、それを論考の俎上に載せるには、多様に定義される「人格」概念の共通核を捉える必要があった。我々はその共通核を②の「自己性 ipseitas」にあると当初考えていた。そこでその概念についてのハイデガー、サルトル、バタイユの論考を分析し、また、その概念の語源学的な調査も試みた。ところがその過程で、「自己性」概念もまた思想家による解釈のブレ幅が大きく、「私」の核となる概念と捉えるには余りにも多義的に過ぎるのが明らかとなった。よって我々は一旦停止し、迂回路の再設定を余儀なくされた。このように、研究計画時の想定とは異なる展開により新たな道筋の再設定を余儀なくされたため、単線的な研究航路を描くことができなかった。ただし、そのような迂回も無為ではなく、例えばサルトルに対して行った詳細な分析は、彼の提示する「非反省的自己意識」という概念に対する評価を刷新する契機をつくり、その分析により「私」「人格」等と変奏される主体性の核を捉えられるのではないかという新たな見通しがたった。現在は、初期サルトルが依拠した現象学による自己意識の理論を、サルトルがそれを放棄し、存在論の方へと舵を切った地点へと遡って跡づけ、さらに、それをサルトルに代わり完成させるという計画に基づき研究を進めている。
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今後の研究の推進方策 |
研究の着想時、ジョン・ロックの定義に倣い、「現象の変移に抗して同一性を保つ意識(記憶に支えられた)」を「人格」と捉えていたため、畢竟、「私」という現象も「自己同一性(アイデンティティ)」の枠内で捉えられるものと考えていた。また、同じく研究の端緒でポール・リクールの「自己性」の考え方にも大きなインスピレーションを得ていたため、自己についての同定的記述を通じて「私」の本質もつかめると想定していた。ところが、初期サルトルの分析を通じ、彼が「非反省的意識」の名で呼ぶ自己意識の方に大きなブレイクスルーの契機があるのではないかと考え始めた。「自己同一性」を保証するのは全て、サルトルの批判する「反省的意識」の系列に属し、また、そのような意識は自己意識の存在を前提としなくては成り立たないことが分かってきたからだ。ここで一旦研究方針の見直しを余儀なくされたが、現代の現象学系の理論(特にDan Zahavi)などを参照することで、どの方向へ考察を進めたら良いかが見えてきた。よって、本年度は初期サルトルが手がけた自己意識の研究を、サルトルが現象学的な方法に留まり、それを徹底させたとき自己意識の概念はどのようなものとなり得たかという問題設定の元で研究を進め、「私」の基盤が何であるのかを解明したい。また、その成果をフロイト理論や対人関係精神分析学理論などへと繋げ、「私」についての新たなヴィジョンを提示したいと考えている。また、2月頃、初年度は果たせなかったフランス渡航を実現し、EHESS等の研究機関で最先端の研究に触れたり、現地の研究者と意見交換をしたりして、研究成果をより豊穣なものとさせたい。
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