研究課題/領域番号 |
22K00127
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01050:美学および芸術論関連
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研究機関 | 静岡文化芸術大学 |
研究代表者 |
上山 典子 静岡文化芸術大学, 文化政策学部, 教授 (90318577)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,730千円 (直接経費: 2,100千円、間接経費: 630千円)
2025年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2024年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
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キーワード | 音楽祭 / リスト / 19世紀 / カールスルーエ音楽祭 / 音楽家集会 / ブレンデル / 19世紀ドイツ / 教養市民層 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は19世紀後半ドイツの音楽祭における教養市民層の役割の変化と、その副産物としての新たな文化構築に注目する。音楽祭は19世紀を通してドイツで興隆したが、世紀前半と後半とでは、そのプログラム、演奏者の属性、そしてその開催目的は大きく異なっていた。この転換をもたらしたのは、1850年代に多くのイベントで音楽監督を担ったリストである。そこで、リストによる数々の改革を分析し、それに伴う教養市民層の音楽祭における役割の変化を考察、そして、そのことによる音楽ジャーナリズムの興隆や作曲家・作品研究への関心の高まりなど、19世紀後半のドイツ教養市民層を特徴づける新たな音楽文化の発展過程を明らかにする。
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研究実績の概要 |
今年度はリストが監督や指揮者を務めた19世紀半ばの音楽祭の内容(特にプログラム、出演者)に注目し、世紀前半までの音楽祭のあり方と、どのような点が、どのように異なるのか、という具体的な比較に重点を置いて研究を進めた。 英独両方の一次資料を豊富に所蔵する大英図書館での資料閲覧と収集を経て、日本音楽学会の全国大会(於 聖徳大学)において、「リストと『未来の音楽祭』」のタイトルで口頭発表を行った。そこでは、ヴァイマル宮廷楽長の地位にあったリストが率いたバレンシュテット音楽祭(1852)とカールスルーエ音楽祭(1853)を出発点に、エルベ音楽祭(1856)、アーヘンでの低地ライン音楽祭(1857)などリストがヴァイマル以外の地でかかわった音楽祭の全体像を概観し、アマチュア主体の祝祭地域イベントから「未来の音楽祭」への転換の過程を追った。 またこの口頭発表の中で取り上げたカールスルエ音楽祭について、『東邦音楽大学研究紀要』に論文を投稿した(2023年度の『紀要』として本来3月末に出版される予定だったが、本報告書を作成した2024年4月25日時点で初稿待ちとなっている)。そこでは1853年10月3~6日に開かれた音楽祭のリストによるプログラミングと指揮、この演奏会に対するジャーナリズムの反応などを検討した。カールスルーエ音楽祭は南ドイツで開かれた事実上初めての大規模イベントとして当時大きな注目を集めたものだった。リスト文献の枠内で、この音楽祭の名称が言及されることは珍しくなかったものの、これまでの音楽史研究において、その内容的詳細が考察されることはほとんどなかった。そのため本稿は、19世紀半ばにリストが携わった音楽祭における具体的改革の一つを明らかにすることを目指した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度はまず、1850年代のリストが監督を務めた合計13の音楽祭のプログラム(曲目と演奏者)を整理した。そしてこれらを出発点に、それぞれの音楽祭を個別に検討する段階に入ったところで、これまでにカールスルエ音楽祭についてはおおむね考察を終えた。現在は、1852年に開催されたバレンシュテット音楽祭に関する研究に着手している。
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今後の研究の推進方策 |
研究3年目となる2024年度は、まず、リストが1852年に指揮をしたバレンシュテット音楽祭について、5月に国際学会で口頭発表を行う予定となっており、その後、論文としてまとめる。 また、リストが中心的役割を果たしたいわゆる進歩派と、それに対立する保守派との論争がいよいよ激しさを増してきた1850年代半ばの音楽祭についても、それぞれ個別に取り上げていく。すなわち、1856年6月14日にマクデブルクで開催されたエルベ音楽祭と、1857年5月31日~6月2日にアーヘンで開催された第35回低地ライン音楽祭で、ベルリオーズ、リスト、そしてワーグナーという当時の前衛音楽家たちの作品がどのように配置され、どのように受け取られたのかを中心に、考察していく。 最終的には、現代音楽の普及という社会的使命に基づくリストの理念が、やがて進歩派陣営が結集する第一回音楽家集会(1859)とそれに続く全ドイツ音楽家協会(ADMV)の設立(1861)へとつながっていく過程を明確にしていきたい。
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