研究課題/領域番号 |
22K00298
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02010:日本文学関連
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研究機関 | 尾道市立大学 |
研究代表者 |
原 卓史 尾道市立大学, 芸術文化学部, 准教授 (00756190)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,990千円 (直接経費: 2,300千円、間接経費: 690千円)
2024年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2023年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2022年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 大衆文学 / 大衆文芸 / 二十一日会 / 報知新聞 / 都新聞 / メディア / 時代小説 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、1920年代に「大衆文学」がどのように誕生したのかを、〈二十一日会〉に参加した作家たちの活動を視座として、明らかにすることを目的とするものである。 「大衆文学」は娯楽的な読み物として作られた文学のことを指す。はじめは、関東大震災前後から生まれた髷物、剣劇などと呼ばれる時代小説を指したが、のちに広く、通俗恋愛小説、探偵小説などにも用いられるようになった。本研究では、1920年代の「大衆文学」誕生の経緯を、〈二十一日会〉のメンバーが執筆した時代小説の精読、小説と口絵・挿絵との関わり、多ジャンルへのメディア・ミックスの分析を通して、同時代ならびに日本文学史との関わりの面から明らかにする。
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研究実績の概要 |
「〈大衆文学〉誕生に関する基礎的研究」と題した本研究の初年度は、主として雑誌『大衆文芸』を刊行した二十一日会の活動の全体像を把握するための研究を行った。当初の研究では、白井喬二、長谷川伸など作家ごとに活動を検討して、作品分析、作家の活動、作品と挿絵の関係、メディア・ミックス、読者層の分析などを行う予定であった。だが、一人ひとりの個別の研究ではなく、二十一日会の活動も含めた雑誌『大衆文芸』の全体像を明らかにした。 令和四年度は、国立国会図書館での調査を四回予定していたが、新型コロナ・ウィルス感染拡大のため、調査の変更を余儀なくされた。八月、岡山県立図書館へ行き『読売新聞』の調査を行い、関係資料二八点を見つけることができた。また、一〇月に、国立国会図書館へ行き『報知新聞』の調査を行い、関係資料四六点を見つけることができた。以上により、これまで知られていなかった二十一日会の活動と『大衆文芸』の刊行に関することを明らかにすることができた。具体的には、二十一日会はいつ・どこで会合を行い、『大衆文芸』の編集についてどのような話し合いが行われたのか、そしてどう雑誌を作ったのかを明らかにすることができた。 次年度以降は、『都新聞』などの資料調査を進め、『大衆文芸』の調査を進めるとともに、作家ごとに調査を行うことで、『大衆文芸』の学術的意義や、位置付けを明らかにしていく予定である。具体的には、メディア研究、作家・作品研究、挿絵と文学の研究、大衆読者層の研究など、大衆文学研究にとって必要な研究を行う。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
令和四年度の研究活動は、新型コロナ・ウィルス感染拡大の影響で、図書館や資料館などを利用した調査を充分に行うことができなかった。様々な制約がある中での活動となったため、例年のように活動できなかった。そのため、当該研究を進めていくための文献調査、フィールドワーク等が充分には行えなかった。その成果については、初年度である令和四年度は、一本の資料紹介を中心にまとめあげた。具体的には、以下のとおりである。 「『大衆文芸』(第一次)総目次」は、総目次の作成と雑誌の特徴を解説したものである。従来の研究では、小説、戯曲、エッセイなどだけでなく、埋め記事のような小さい記事まで可視化する目録は作成されてこなかった。それゆえ、すべての記事を確認することができる目録の作成を行った。この作業と並行して、新聞社・雑誌社との関わり、二十一日会の活動、作家の活動、メディア・ミックス、読者層の分析などを行った。 当初予定していた白井喬二や長谷川伸の活動を軸にして議論を進めることができなかったことから、やや遅れているとの判断に至った。
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今後の研究の推進方策 |
一年目で作成した「『大衆文芸』(第一次)総目次」を土台として、計画に従って検討を行っていく。まず総論的なところでは、二十一日会に縁のある『都新聞』の調査を開始する。それにより、二十一日会や『大衆文芸』の全体像をより明確にすることができる。また、大正末期から昭和初年代にかけての白井喬二の評論活動の考察を通して、なぜ『大衆文芸』に大衆文学理論が掲載されなかったのかを明らかにしていく。それとともに、長谷川伸、直木三十五、土師清二などの活動も絡めて検討していきたい。
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