研究課題/領域番号 |
22K00308
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02010:日本文学関連
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
関 肇 関西大学, 文学部, 教授 (70236074)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2027-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2026年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2025年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2024年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 新聞小説 / アダプテーション / 演劇 / 映画 / 言論統制 / 1920~30年代 / 大衆文学 / 読者 |
研究開始時の研究の概要 |
尾崎紅葉、徳冨蘆花、夏目漱石などが活躍した1890~1900年代を新聞小説の第一次隆盛期とするなら、1920~30年代は、新聞小説の第二次隆盛期にあたる。 本研究は、その第二次隆盛期の新聞小説に焦点を合わせ、その新聞小説の特質がどのように変化していくか、また、背景にある社会的要因や文化状況を実証的に検討し、さらにその研究実践を通して、新聞小説という視角から文学研究と文化研究を接続させることを目指している。
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研究実績の概要 |
1920~30年代の新聞小説の展開に関して、論文2本を発表し、口頭発表を1回行った。 論文「尾崎士郎『人生劇場』(青春篇)のアダプテーション ―昭和戦前期の演劇化と映画化をめぐって―」(関西大学東西学術研究所研究叢書『日本言語文化の内と外』所収)では、新劇の新築地劇団による初演(村田修子脚色、千田是也演出)、日活多摩川による映画(亀屋原徳脚本、八木保太郎潤色、内田吐夢監督)、井上正夫一座による商業演劇(亀屋原徳脚色、村山知義演出)の3作の成立事情、原作との比較、それぞれのジャンルにおける独自性などについて検討し、いずれも各ジャンルの転換期に上演・上映されたものであり、この小説が文学ジャンルから異質なジャンルへと置き換えられていくことによって、次第に変容しながらブームを形づくっていったことを考察した。 論文「昭和戦前・戦中期の言論統制と新聞小説」(関西大学東西学術研究所研究叢刊『戦争と文学の交渉 ―古代から近現代へ―』は、昭和戦前の東京・大阪両『朝日新聞』を中心として新聞メディアにおける編集体制と内務省による検閲との関わり、新聞紙法改正をめぐる動向を明らかにし、さらに同紙を代表する新聞小説家としての山本有三が直面した諸問題について検討した。 口頭発表「武田麟太郎と新聞小説―「風速五十米」の作法―」では、盧溝橋事件から日中戦争へという社会情勢が重大な曲面にさしかかった時期に、東京・大阪両『朝日新聞』朝刊に連載された「風速五十米」について、それが武田麟太郎の独特な新聞小説観の実践であることを、現実の社会的な出来事や新聞の記事および広告とフィクションとの関係、挿絵のもたらす効果、モデルの問題などの分析を通して明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型コロナ感染症による行動制限は徐々に緩和されてきたものの、文献資料の調査については、所蔵先が抽選予約制や閲覧時間の制限を行っていたりする場合があった。そのため使うことのできなかった資料もいくつかあるが、それらがなくても研究の大枠は変わらないものと判断して論文執筆にあたることにした。今後、未見の資料を確認することにより、必要に応じて論を補っていくこととしたい。 また、武田麟太郎の文学活動については、関西大学図書館が資料収集に努めてきた大阪文芸資料の貴重な文献に助けられたところが大きく、泊園書院講座で発表の機会を得たことも研究を進める契機となった。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、国立国会図書館・日本近代文学館・早稲田大学演劇博物館などでの文献調査を行い、大正後期から昭和戦前期にかけての新聞小説の基礎的なデータを収集していく。 また、尾崎士郎の『人生劇場』残侠篇に関する、演劇や映画へのアダプテーションについて考察し、論文にすることを予定している。残侠篇においては、とりわけ新国劇による演劇化、日活多摩川による映画化、講談・浪曲などとの関わりが重要となる。いずれも実証的な資料や研究に乏しいが、雑誌・新聞等の同時代文献を精査することによって、その具体的な様相を明らかにしていきたい。 さらに、それとは別に、この小説とともに掲げられた中川一政の挿絵についても、それがどのような意味を持つのかを検討していきたい。
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