研究課題/領域番号 |
22K00421
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02030:英文学および英語圏文学関連
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研究機関 | 岩手大学 |
研究代表者 |
境野 直樹 岩手大学, 教育学部, 嘱託教授 (90187005)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2024年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2023年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
2022年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 疑似科学 / ノン・フィクション / ルネサンス英国演劇 / 錬金術と近代科学 / 科学と俗習 / 英国演劇 |
研究開始時の研究の概要 |
政治的言説、裁判記録、旅行記など、客観性、正確さを求められるはずのあらゆる言説に、古典古代からの修辞的伝統を背景とした言説に依拠した「非科学的」修辞的伝統の色濃い影響をみてとることができる。つまり、説得力、社会的影響力のある言説においては、しばしば古典修辞学の力が科学的客観性のそれを凌駕するのだ。本研究はこうした「修辞的伝統を盾として科学的合理性に齟齬を来す言説」が、それにもかかわらず、あるいはそれゆえに、読者・観客に浸透し支持されてしまうメカニズムの来歴と変容を、英国近代の文学的・文化史的文脈、とりわけ演劇作品や世俗パンフレットなどの文脈において考察するものである。
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研究実績の概要 |
近世初期英国における、こんにちからみれば疑似科学(pseudo-science)と断定せざるを得ない一連の著作物におけるひとつの傾向を、博覧強記を感じさせる領域横断的、総合的・百科全書的な構成に見出すことができるだろう。Thomas Browneしかり、Robert Burtonしかり、さらに遡ればSimon Formanしかり。かれらの著作はいずれも、それ自体では信憑性・合理性を説得的に論じることができないようなトピックについて、近接領域・関連領域へと横へスライドする論述形跡をとることで、結果的に「大風呂敷」を拡げ、しかもその際にあらたに加わる、多くの場合論証がさらに困難な問題を抱え込みつつ肥大化する傾向をもつ。疑似科学が主知主義の身振りをとりつつも宗教的言説と、とりわけ修辞的な側面でつよい共振・共鳴を示すメカニズムは、返す刀で、黎明期の近代科学の言説に散見される主意主義ともいうべき「信念」についてのマニフェストを浮き上がらせる効果をもっている。科学の言説はそれゆえにやがて、つとめて客観性を前景化した文体へ、factのみを淡々と記述する言説へと鍛え上げられて行くことになる。 しかしそのプロセスはまた、倫理的配慮や道徳的価値判断を棚上げにするプロセスでもあることは、20世紀のふたつの世界大戦を顧みるまでもないだろう。人間は科学とデーモンの狭間で、ひさしく忘れ去られていた苦悩をふたたび生きることになる。David AttenboroughやBrian Greeneのような科学ジャーナリズムが色濃くヒューマニズムの身振りを意識するのは、そうした歴史的文脈に照らし合わせるならば、振り子のおおきな揺り戻しのサイクルと言えるのかもしれない。 その場合、宗教的言説の位置付けはどうなるのかー神は合理化されるのか、されてはならないのかーこの古くて新しい問いの始原へと、本研究は向かう。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究課題の性格上、扱う文献が概して大著であることにくわえ、同時代の科学の成果とそれが排斥してきた迷信・俗習との切り分けの検証のために参照がもとめられる文献の膨大さが、当初の見積をはるかに越えてしまっていることが、結果として研究の進度の停滞を招いてしまっている。だがこれは本研究遂行にあたっては不可欠な作業であり、次年度は研究時間確保については格段の条件好転が見込まれることから、継続的にことにあたりたいと考えている。 研究計画策定当初は射程になかった、宗教をめぐる科学的合理性とのすり合わせを題材とした文献群へのリサーチの必要性について、まだその全貌を掴みきれていないことが、現時点での遅れの最も懸念される部分である。研究最終年度はまずEEBOを駆使して、現時点では端緒についたばかりの同領域の文献調査を精力的に進めることで、研究の取りまとめのための視座を確固たるものにしたいと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
研究課題の性格上、拡散・拡大する関連文献の調査・精読をこつこつと続けて行くことで、当初の仮説である、「科学的文献」の系譜は、同時代の文学的テクストとの共振・反目・共犯関係を繰り返しつつ、とりあえずC.ダーウィンの受容までの離合の文化史とでも呼ぶべき枠組みで検証することの実証、とりわけこの修辞的あるいは文学的ともいうべき虚構性にたいする読者・観客の立ち位置の文化史的推移について、具体的に立証することを目指す。 疑似科学・俗習・迷信の言説を扱うことの最大の困難は、当該文化(本研究においては英国近世初期のプロテスタンティズム・英国国教会・カトリックの言説間の揺らぎを含む)の精神的な屋台骨とも言える宗教的文献の位置付けとの関係性・距離感をどうとりまとめて見取り図としうるかという問題系である。このことに付随して、本研究は同時代のプロテスタンティズムに関係した文献をめぐっての、キリスト教教義の論争に踏み込んで行くことになる。この観点は、本研究の延長上に新しい課題の萌芽を感じているところでもあり、しっかりとした継続性の足掛かりを得ることができればと考えている。
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