研究課題/領域番号 |
22K00458
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02040:ヨーロッパ文学関連
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
瀬戸 直彦 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (30206643)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,600千円 (直接経費: 2,000千円、間接経費: 600千円)
2024年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
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キーワード | トルバドゥール / 写本 / 写字生 / オリジナル / 南フランス / 中世 / オック語 / 中世フランス / 抒情詩 / メタ文脈 |
研究開始時の研究の概要 |
ギラウト・リキエルのパストゥレルを中心に「メタ文脈」を探るのが目的であるが,「最後のトルバドゥール」と称される13世紀の南仏の詩人の自己内省の結果であるという仮説を実証できればと思う。CおよびRという14世紀の冒頭に南仏でまとめられた2写本には,ギラウト自身が編纂した彼の作品集が組み込まれている。宮廷が詩人のパトロンになるという幸福な時代ではもはやなかった。北仏アラスで発達したような市民階級の文芸に変わりつつあった。南仏詩人はそれにいわば乗り遅れてしまったわけで,その中から,ギラウトのパストゥレルの第5・6歌のように,宗教的な詩に変化せざるをえなかった経緯をも検討できればと考えている。
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研究実績の概要 |
「中世フランス抒情詩における「メタ文脈」の研究」と題した3年間にわたる研究の初年度であった。とくに今年度は南フランスのトルバドゥールによる抒情詩における語り手がその語りかける相手(聴衆・読者)を意識した上での「文脈」をとらえる作業を,とくに写字生の筆者作業を念頭に置いておこなった。
具体的に述べよう。トルバドゥールの1206作品を収録するメジャーな Cという写本がある。また,原写本はいまでは散逸してしまったが,種々の「紙」による写本でほぼ再建できる a (ベルナルト・アモロスというがある。かれらの,元本を書写する際の姿勢がきわだって相違しているのである。後者については,ベルナルトによる全体の序文がのこされており,写字するときの Correctores immo corruptores (意訳をほどこすと,テクストの「訂正者だって?いや破壊者だよ」)といういわば彼のモットーが強調されている。いっぽう前者においては全体の序文は付されておらず,写字生の姿はベルナルトの場合と異なり,一見したところ見えない。しかるに最後のトルバドゥールといわれる,写字生の同時代人でおそらくは友人であったギラウト・リキエルの作品を収録する部分では,その詩人の「元本」をその構成も年代順も含めて一言一句そのまま収録したとある。これだけを見ると,ベルナルトの態度と同じであるが,写本冒頭に付された目次と索引に作者名の訂正(の可能性)が明示されていたり,rubrique と呼ばれる各作品冒頭の朱字(「誰誰の作品は以下に始まる」)が多くみられ,かつ,テクスト自体を勝手に直してしまうC写本独自の態度が観察できる。中世南フランスにおける二人の写字生の対照的な態度を比較してみることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ギラウト・リキエルのおもにC写本に収録されたパストゥレルにおける「メタ文脈」から出発した本課題であるが,そのC写本の編纂の方法(写字生の原テクストへの接し方)においても,「メタ」な文脈が看取できるのではないかと考えるようになった。それに対して,ベルナルト・アモロスの態度は,いわば声高に,原テクストの改変を非難しており,じじつその伝える内容は,おそらくオリジナルとの違いの目立たないものであった。この2写本の相違については,私は「寡黙と饒舌ー中世南仏の二人の写字生」と題した論文ですでに1998年に問題提起をおこなっていた。あらためて新しい視点から,より精密な分析をもとに捉えなおすことができるようになったと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
2023年9月に,ドイツのミュンヘン大学において開催される「第14回国際オック語オック文学国際学会」において,この問題をあらためて指摘する予定である。C写本のギラウト・リキエルの部の前書きの解釈は,Bertolucci-Pizzorusso によってかなり詳細に検討されている。近くは2014年に,Borghi Cedrini とWalter Meligaにより,a 写本の序文の読み直しがなされている。私のこの問題提起が,それらの業績を包括し,かつ補完するものとなることを期待している。そして本研究の目的である「メタ文脈」という概念の捉えなおしを,写字生による俗語文学のオリジナル・テクストへの接し方の相違から再検討することができればと思う。「テクスト改変者イコール改悪者」という見方は,神という絶対的な著者 auctoritas のいる「聖書」テクストの校訂作業に起因するものであり,俗語のいわば「流動する」テクストに適用できるとは限らないからである。
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