研究課題/領域番号 |
22K00461
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02040:ヨーロッパ文学関連
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
塚本 昌則 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (90242081)
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研究分担者 |
塩塚 秀一郎 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (70333581)
MARIANNE SIMON・O 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 准教授 (70447457)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2025年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2024年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2023年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2022年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
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キーワード | 錯綜体 / ヴァレリー / メルロ=ポンティ / 現象学 / 日常生活 / 写真 / 二十世紀文学 |
研究開始時の研究の概要 |
十九世紀後半以降、人間はもはや知の主体とは見なされなくなった。人間は自律した存在などではなく、身体、無意識、制度など、個人の意志の力では制御できないものによって深く規定された存在であるという認識が急激に広がっていった。自律性を奪われた人間という視点は、文学にどのような変化をもたらしたのだろうか。 この問いを、本研究では二つの角度から研究する。第一に、ヴァレリーという作家において、周囲の世界に深く影響され、能動性と受動性の狭間を行き来する人間がどのように描かれているのかを分析する。第二に、日常生活が二十世紀文学においてどのように表現されてきたのか、その広がりを探る。
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研究実績の概要 |
二十世紀フランスの作家ポール・ヴァレリー(1871-1945)について、「錯綜体」という視点からその全体像を再検討するが本研究の目的である。錯綜体とは、人間の潜在性、とりわけ潜在的な能力を指す言葉で、メルロ=ポンティの「肉」、フロイトの「無意識」に通じる考え方である。精神と身体、夢と現実、記憶と忘却など、人間の相反する側面が相互に浸透しあうこの錯綜体という視点から、ヴァレリーのテクストを読み直し、新しい作家像の構築を目指す。その作業と並行して、人文科学の諸分野の知を、この視点から問い直す研究も並行して進める。とりわけ、文学、そして人文科学がこの時代、人々の日常生活をどのようなものとして捉え、描いたかを再検討する。 今年度は、まずヴァレリー最晩年の作品『詩学講義』について、研究代表者が、2023年6月、パリのコレージュ・ド・フランスで開催された国際研究集会に参加した。2024年3月には、パリ文理大学(PSL)の客員教授として招聘され、「非人間の詩学」と題する授業を高等師範学校で行った。錯綜体という考え方を軸に、ヴァレリー、メルロ=ポンティ、フロベール、三島由紀夫について講義し、その後参加者と議論した。進行はCNRS研究員ベネデッタ・ザッカレロが担当し、動物詩学という新たなコンセプトで注目されるアンヌ・シモンも授業に参加し、非人間の詩学をめぐって議論した。 二十世紀文学と、人類学、現象学、精神分析学、美術史学、フィクション論、身体論がそれぞれどのように現実を捉えようとしたのかという点については、シュルレアリスム研究者の鈴木雅雄氏と進めてきた共同研究の成果が、入校段階にまで来ている。2024年度中の刊行を目指す。 最後に、塩塚秀一郎氏が、これまでのフランス文学に関する研究をまとめ、『逸脱のフランス文学史 ウリポのプリズムから世界を見る』という題で上梓した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ヴァレリーのテクストは、生前発表された作品、詩、1894年から1945年まで書きつづけた覚書『カイエ』、それぞれの作品草稿と膨大な数に及ぶ。昨年には、1937年から1945年までコレージュ・ド・フランスで行っていた詩学講義の記録が出版された。他にも、原書で1000頁あるヴァレリーの伝記の翻訳が三巻本で今年出版された。資料が拡大しつづけている研究状況において、人生のさまざまな時期に、異なった形をとって現れるヴァレリーという作家の根底にあるものを、ここでは錯綜体という視点から明らかにすることを目指している。今年度は口頭発表だけでなく、論文としてその成果の一部を発表してゆく予定である。 また、二十世紀文学と人文科学が、現実をどのように捉えようとしたのかという研究については、かなり作業が進んでいる。個別に執筆を依頼した研究論文はほぼ集まり、現在それらの論文をどのように位置づけ、問題を提起するかを、共同編集を務める鈴木雅雄氏と一緒に検討している。年度内の出版を目指す。 最後に、日常生活研究については、塩塚氏の研究成果もあり、大きな進展を見せている。ただ、この分野には基礎文献は存在するものの、全体として見ると、まだ個別の研究が散在している段階にある。日常生活研究においては、まず視野を広げ、そこに通底する問題を見出せるかどうか基礎的な研究をつづける必要がある。その上で、今年度は二十世紀の作家たちが、写真によって日常生活を記述する試みに注目、その成果を書物の形で問うていく予定である。
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今後の研究の推進方策 |
研究の基本的な推進方策は、深い受動性を刻印され、周囲の世界に影響されながら、自らの住む環境世界を構築する錯綜体としての人間という視点から、文献への理解を深めることに尽きている。個人の主体性を極端に強調する近代の人間観から、生の外側にある、見ることも聞くこともできない潜在的なものに触れることで存在の感覚を取り戻そうとする、二十世紀文学に広く見られる人間観への移行はどのようにして起こったのか、またその移行は、人文科学の発展とどのように関係しているのか。この人間観は、二十世紀文学に何をもたらしたのか。こうした疑問から、ヴァレリー像の再構築を目指し、また二十世紀文学における日常生活の描写について、より多様な視点構築の作業を地道に続けていきたい。 今年度は、メルロ=ポンティのヴァレリー論『言語の文学的使用法』を編纂したベネデッタ・ザッカレロを6月招聘し、セミナーや研究集会を開催する。ヴァレリーの『詩学講義』には、解明を待つ数多くの課題が含まれているが、そのなかでもとりわけ詩学講義が他の作家・哲学者にもたらした影響について検討する予定である。サルトル『文学とは何か』(1948)、ロラン・バルト『エクリチュールのゼロ度』(1953)、メルロ=ポンティ『言語の文学的使用法』(1953)、モーリス・ブランショ『文学空間』(1955)など、戦後、詩とは何か、文学とは何かを問う一連の評論が書かれた。これまでサルトルを起点にこれらの評論・講義は論じられてきたが、そこにヴァレリーの『詩学講義』が大きな役割を果たしたことがいま明らかになりつつある。これらの評論において賭けられていたものは何であったのかを、ザッカレロとともに考えていきたい。 2025年3月には、ファビアン・アリベール=ナルス教授の招聘で、スコットランド・グラスゴー大学で日常生活に関する研究成果を発表する予定である。
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