研究課題/領域番号 |
22K00983
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03050:考古学関連
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
滝沢 誠 筑波大学, 人文社会系, 教授 (90222091)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2024年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2023年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2022年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | 伊豆半島 / 古墳時代 / 洞穴墓 / 海上交通 |
研究開始時の研究の概要 |
日本列島各地の半島部には、海蝕洞穴や岩陰などを利用した古墳時代の洞穴墓が営まれている。それらは、古墳とは異なる独自の墓制を有する集団が海を隔てた半島部に点在し、広域に及ぶ交流関係を築いていたことを示している。 本研究では、これまでに十分な調査・研究がおこなわれたことがない伊豆半島所在の古墳時代洞穴墓を主な研究対象とし、その実態を解明するための基礎研究を推進する。その上で、房総半島や紀伊半島などの事例と比較しながら、伊豆半島を拠点とした海浜部集団の特質を明らかにし、古墳時代における広域海上交通の展開を陸上交通のあり方も視野に入れた交通体系全般の中で考察する。
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研究実績の概要 |
本研究は、伊豆半島の古墳時代洞穴墓を研究対象とし、海浜部に洞穴墓を営んだ集団の性格を房総半島や三浦半島の事例などと比較しながら考古学的に解明することを目的としている。その目的を達成するための基礎調査として、本年度は静岡県下田市了仙寺洞穴並びに同上ノ山洞穴の測量調査、了仙寺洞穴出土遺物の実測調査を実施した。また、西伊豆町辰ケ口岩陰遺跡出土遺物の実測調査、同栗原昔穴古墳の現地踏査を実施した。 了仙寺洞穴・上ノ山洞穴の測量調査並びに了仙寺洞穴出土遺物の実測調査は、2022年9月に実施した。両洞穴についてはこれまで正確な測量図が存在しなかったため、それぞれの測量図を作成した。その成果については、「伊豆半島南部の古墳時代洞穴墓―下田市了仙寺洞穴・上ノ山洞穴の測量調査―」(『筑波大学先史学・考古学研究』第34号、2023年3月)と題する研究報告にまとめて発表した。了仙寺洞穴出土遺物(採集品)については、以前に主な遺物が紹介されているが、下田市教育委員会には未報告の出土遺物(主に須恵器)が大量に保管されているため、それらの実測調査を実施した。同時に、研究協力者の協力を得て、須恵器やガラス小玉の産地を推定するための蛍光X線分析を実施した。 辰ケ口岩陰遺跡出土遺物の実測調査並びに栗原昔穴古墳の現地踏査は、2023年3月に実施した。辰ケ口岩陰遺跡の出土遺物については、発掘調査報告書に掲載されている副葬品の細部を確認するための実測調査を行った。栗原昔穴古墳は伊豆半島南部に存在する数少ない横穴式石室墳であり、同時期に営まれた洞穴墓と比較すべき対象として、墳丘や石室の現状を把握するための踏査と石室の3D画像作成を行った。 以上の調査期間中、研究協力者と現地において調査成果についての検討を行うとともに、今後に向けた研究の打ち合わせを行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究を進めるにあたっては、伊豆半島における古墳時代洞穴墓についての基礎調査が不可欠である。本年度は、伊豆半島南部に所在する3箇所の洞穴墓について調査を実施し、以下の成果を得ることができた。 下田市了仙寺洞穴は、伊豆半島最大の洞穴墓であるが、測量調査が行われたことはなく、その実態は不明のままであった。今回の測量調査の結果、長さ約15.2m、最大幅約5.5m、最大高約5.4mの規模を有することが明らかとなった。ただし、現状では両側が開口しており、この状態が古墳時代当時の姿を示しているのか否かについては明確な結論が得られなかった。出土遺物については、須恵器を中心とした大量の遺物が下田市教育委員会に保管されていることから、それらの実測調査を行った。その結果、出土遺物の大半を占める須恵器の年代は6世紀後半から8世紀に及び、その中心となる時期は7世紀代であることが確認された。また、須恵器の胎土は2種に大別され、湖西窯産のほかに駿河中部産(秋葉窯?)の可能性が考えられる須恵器が一定数を占めることも明らかとなった。 下田市上ノ山洞穴は、測量調査の結果、長さ約5.0m、最大幅約3.7m、最大高約2.0mであることが判明した。現地の状況は、戦前の『静岡縣史』に掲載された略測図とほぼ変わりがなく、当時の状況が維持されていることが確認された。ただし、『静岡縣史』には採集遺物の存在が記されているが、今回の調査では遺物を採集することはできなかった。 西伊豆町辰ケ口岩陰については、発掘調査報告書に示されている副葬品の再実測調査を実施した。その結果、年代を把握するための重要な手がかりとなり得る鉄鏃の形態についてあらたな知見を得ることができた。 以上の調査成果は、伊豆半島における古墳時代洞穴墓の実態や造墓集団の性格に迫り得る重要な情報を数多く含むものであり、本研究の着実な前進に寄与するものである。
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今後の研究の推進方策 |
令和5年度は、本年度の成果と課題をふまえつつ、伊豆半島における洞穴墓の実態解明をさらに進め、造墓集団の性格と役割についての考察を深めていく。 測量調査を実施した下田市上ノ山洞穴については、その実態を詳細に明らかにするための発掘調査を実施する。同洞穴については、戦前の『静岡縣史』に須恵器や玉類の出土が記されているものの、それらの遺物は所在不明であるため、発掘調査によって具体的な年代の手がかりを得たい。また、周辺には小規模な自然洞穴が点在していることから、それらの分布調査を実施し、洞穴墓の可能性について検討したい。なお、調査期間中には、研究協力者と現地での研究会を開催し、出土遺物の分析については適宜協力を求めていく。 上記の発掘調査とは別に、河津町波来洞穴出土遺物の再実測調査を実施する。過去の発掘調査で同洞穴から出土した遺物の中には、古墳時代の土器のほかに弥生時代の土器を含んでいる。すでに実施した了仙寺洞穴出土遺物の調査でも弥生土器の存在を確認しているため、伊豆半島南部における洞穴利用は少なくとも弥生時代には開始されていたとみられる。そこには、弥生時代の洞穴利用が顕著な三浦半島との関係がうかがえ、集団の性格や交流の実態を把握する手がかりとなり得る可能性がある。 これまでの研究から、伊豆半島南部の古墳時代洞穴墓は6世紀後半以降に営まれたものとみられる。ただし、了仙寺洞穴のように海浜部に位置し、大規模な埋葬空間を有するものと、上ノ山洞穴のように丘陵部に位置し、小規模な埋葬空間しかもたないものの二者があり、それらは副葬された須恵器の産地別構成にも差異が存在する可能性がある。次年度以降は、そうした点にも着目しながら、伊豆半島に洞穴墓を営んだ集団が海上交通に果たした役割についての検討を進めていきたい。その内容については、次年度末に中間的な成果を取りまとめ、学会誌等で発表する計画である。
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