研究課題/領域番号 |
22K01360
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分06020:国際関係論関連
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研究機関 | 日本大学 |
研究代表者 |
松本 佐保 日本大学, 国際関係学部, 教授 (40326161)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,770千円 (直接経費: 2,900千円、間接経費: 870千円)
2024年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2023年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2022年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | バチカン / 日本 / 教皇 / 天皇 / 公式外交関係 / バチカンと日本 / 外交関係 / 終戦工作 |
研究開始時の研究の概要 |
バチカンと日本の間の公式な外交関係は1942年に樹立した。なぜ戦時中のこの時期にそうした決定がなされたのか、二国間の関係について歴史的な背景を踏まえて、2021年6月以降に公開されたばかりの最新史料、バチカン機密史料を駆使して明らかにする。バチカン機密史料は、以前は1939年のものまでしか公開されていなかったが、新史料は1942年をカバーしていることから、二国間の関係を実証的に明らかにすることが可能になったからだ。新たなる史料公開の時代区分は1939年~1954年であることから、戦後の日本におけるアメリカ占領下政策とその後時代を含む。
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研究実績の概要 |
バチカンと日本の外交関係の近代から現代の歴史研究において、日本側の事情を解明するために日本国内では日本外交史の文献を入手し精読する作業をまず行った。近代以降のこの二国間の交流史はキリスト教が解禁された明治6年の1873年以降に開始され、ミッションスクール等、キリスト教系学校の設立は、日本の西欧化と共にバチカンを初めとする欧米諸国との関係や、これらを担う人材育成において重要であったからだ。バチカンと直接かかわるカトリック系で男子は暁星学院、女子は聖心女子などの設立があげられる。特にこの暁星学院に学んだ山本信次郎の存在は、後に日本とバチカンの国交樹立で重要な役割を果たす。後に昭和天皇となる裕仁皇太子が、欧州への外遊期間にローマ教皇との謁見を果たすが、これは山本信次郎の功績であった。第一次大戦期を経て戦間期の1920年代、両国の公式な外交関係の樹立(双方の外交官の交換が必要)の可能性が議論される。バチカン側はすでに1919年ビオンディ大司教を日本にバチカン使節として派遣していたが、日本からバチカンへの外交官の派遣には予算が必要で、仏教界や神道会の圧力を受けた議員達がこの予算に反対し実現しなかった。その後1942年国交樹立に至る外交関係は、3月に調査したバチカン使徒文書館で入手した史料によって、バチカン使節マレラ司教とバチカン国務省のやり取り文書で確認した。 また夏休み期間の8月には英国のカンタベリー大司教の文書があるランバス宮殿所蔵の英国国教会の史料、また英国公文書館所蔵のバチカンと日本の外交関係の史料を調査し、バチカンと公式な外交関係がなかった英国が、バチカン日本関係をどう見いていたを確認することが出来た。またスイスのジュネーブにある「世界教会協議会」文書館でもバチカンと英国国教会やプロテスタント教会との関係が明らかになった。これら調査のため海外出張費が予算から執行された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究実績の概要で述べた様にほぼ当初の研究計画通りに調査は進んでいるものの、バチカン使徒文書館での調査には多くの制約がある。バチカン使徒文書館へのアクセス権は、全ての研究者に開かれているわけではなく、長年のバチカン研究の実績があること、またバチカン研究に従事するカトリック聖職者の紹介状などの条件がある。これらの条件をクリアしてアクセス権を得ているものの、バチカン使徒文書館は夏の期間7月15日~9月15日は閉館し、土日祝も開いていない。一日に閲覧可能なファイル数は3点のみで、開館時間は8時半~13時半まで(2024年4月現在の状況で開館時間はバチカンの事情で適宜変更される)で、さらに文書館内での史料調査での史料の撮影は厳しく禁止され、また基本的にコピーも出来ない。手書きやノートパソコンでの打ち込みのみが認められている。さらにバチカン内にはもう一つ、バチカン国務省文書館が存在し、外交関係の史料はこちらにあるものもあるが、こちらの文書館の開館時間は、すでに述べたバチカン使徒文書館よりさらに短く、9時~13時で開館時間が重複していることも、調査を効率よくすすめられられない理由である。こうした事情から研究速度を上げることは実質上困難である。大学に専任教員として勤務していることから、基本的に夏休みと春休みの時期しか海外調査は行えず、さらにバチカンは夏の期間は閉館している。今後の研究調査において、こうした状況を鑑み、場合によっては来年度以降、現地のリサーチアシスタントの雇用も想定される。日本側の調査については、こうした困難はなくスムーズに調査が進行している。日本外交史研究や天皇制研究の研究者との交流や研究会への出席なので、活発な研究活動に従事している。 この様な困難なバチカン使徒文書館での調査上の困難があるにもかかわらず、概ね順調に進展している。
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今後の研究の推進方策 |
研究実績の概要と現在までの進捗状況で述べた様に、今後のバチカン使徒文書館での調査に関しては現地のリサーチアシスタントを雇うことで、より効率良く研究をすすめることを今後の研究推進方策としてあげておく。バチカン使徒文書館とバチカン国務省文書館は長年第二次世界大戦中とそれ以降の史料を閉じていたが、約2年半前に第二次世界大戦開始から1958年までの史料公開に踏み切った。その事情については、バチカンが戦中にナチスドイツと同盟関係を持ったことで、バチカンがユダヤ人大量虐殺のホロコーストを黙認したのではないかという疑惑と論争があり、以前はこうした史料の公開について躊躇があった。しかし現教皇フランシスコの英断により、こうした不都合な歴史を含む過去を明らかにすることがむしろ重要であるという見方が表明されたのである。これら史料は時代順で区切っていることから、バチカンとドイツだけでなく、バチカンと日本の太平洋戦争中、そして日本の敗戦、連合国による日本の占領下時代、その後の冷戦の深化の時代の両国の関係のみならず、米国や欧州諸国、そして旧日本領であったアジア諸国との関係を含む膨大な史料が、一気に公開されたことでその分量は膨大である。そのためこれら膨大な史料を効率よく、そして本研究課題である1942年のバチカンと日本の公式な国交樹立に関わって、ここに焦点を当てつつ、広い視野をも忘れることなく今後の研究を推進していく。日本外交史についても、引き続きすでに述べた様な日本の研究者との交流だけだなく欧州や米国の隣接及び類似分野の研究者との交流も行う。すでに米国ではバチカンと日本関係史研究は、日本が太平洋戦争勃発以降敵国となったこともあり、大変高い関心があることから、業績については日本語だけでなく英語での論文執筆を予定している。
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