研究課題/領域番号 |
22K02207
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分09010:教育学関連
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研究機関 | 兵庫教育大学 |
研究代表者 |
大関 達也 兵庫教育大学, 学校教育研究科, 教授 (80379867)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2024年度: 130千円 (直接経費: 100千円、間接経費: 30千円)
2023年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2022年度: 130千円 (直接経費: 100千円、間接経費: 30千円)
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キーワード | 教養 / 哲学的解釈学 / 他者 / ストゥディウム・ゲネラーレ |
研究開始時の研究の概要 |
本研究では、哲学的解釈学に依拠しつつ、多元的な社会にふさわしい教養教育の理念・内容・方法を探究する。そのために、1945年以後のドイツの大学に導入されたストゥディウム・ゲネラーレの構想・カリキュラム・社会的機能の変化を分析することによって、大学と社会の間に教育空間としての市民的公共圏が成立する歴史的・社会的条件を解明する。解釈学的研究によって形成される公共圏は異質な他者に対する開放性と共通性を含意した空間であるという点に現代的意義がある。解釈学的研究によって獲得される教養は他者の視点から理解しようとする姿勢である。こうした点を踏まえ、本研究では他者の視点から学ぶための教養教育を構想する。
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研究実績の概要 |
本研究の目的は、ガダマーの哲学的解釈学と教養論に依拠しつつ、他者の立場から理解することを学ぶ教養教育の可能性を提示することである。その主要な論点は、テクストとの対話、他者との対話、自己自身との対話から成る解釈学的研究が、多様な文化的背景を持つ他者と共生するための教養教育の課題にどの程度応えられるのかという問題である。学習者は自ら考え判断する自由と集団的意思決定の過程に参加する連帯の大切さをいかにして学ぶのか。本研究では、様々な専門分野で学習者の問いとなるようなテクストや事物を提示し,文化的・社会的実践に参加するための基礎的なリテラシーを学習者に培い,自ら実践知を生み出していくような教養教育を構想する。そのために、1945年以後のドイツで行われた大学改革の文脈からガダマーの思想を捉え直し、解釈学的研究を多元的な社会における対話として発展させることを試みる。 1年目は、1945年以後のドイツ連邦共和国(BRD)におけるストゥディウム・ゲネラーレの理念・カリキュラム・社会的機能の変化を、Casale/Molzberger (2018) に依拠しながら分析した。その際に、ストゥディウム・ゲネラーレの歴史的な意味と機能の変化を、第二次世界大戦後(1945年から1964年まで)、大学の拡充と民主化の時代(1964年から1977年まで)、大衆化の時代(1977年から1993年まで)、ボローニャ改革後(1993年から今日まで)の4つの時期に区分し、それぞれを制度的次元(大学のストゥディウム・ゲネラーレのプログラム)、基礎づけおよび正当化の次元(学問論議の中のストゥディウム・ゲネラーレ)、政治的次元(教育行政機関の決議、勧告、鑑定)から考察した。1945年以後のストゥディウム・ゲネラーレは、ヒューマニズムを理念としつつも、職業的教養と一般教養の間で多様な意味と機能を持っていた点が確認された。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度の研究課題は、1945年以後のドイツ連邦共和国で行われた大学改革の文脈からガダマーの思想を捉え直すことであった。しかし、ストゥディウム・ゲネラーレに関する資料の収集・翻訳・分析が遅れたため、大学改革におけるストゥディウム・ゲネラーレの位置づけを十分に考察することができなかった。今後は、1945年から1966年の間の大学改革の文脈にストゥディウム・ゲネラーレを位置づけ、そこからガダマーの思想を捉え直すことが課題になる。ガダマーは1952年にハイデルベルク大学に設置されたストゥディウム・ゲネラーレで学問の統一と学生の政治的教養の教育に貢献していた。民主的な文化革新の精神から学問を再生しようというガダマーの意思は、1946年2月5日に再開されたライプツィヒ大学で学長を引き継いだ際に行った講演「学問の根源性について」(1947)や、その後に出版された論文「哲学の根源性について」(1948)、さらにフランクフルト大学に移ってからアメリカ占領地区の政府の主導のもとで行われたラジオ講演「ドイツの大学が置かれた社会的・政治的状況について」(1949年2月19日に録音されたラジオ講演、題目はマールバッハ・ドイツ文学資料館に保存されている原稿のもの)で表明されている。こうした歴史的・社会的文脈から、ガダマーの思想の独自性を裏付ける作業が残された課題である。
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今後の研究の推進方策 |
引き続き、Casale/Molzberger(2018)に依拠しつつ、1945年以後のドイツ連邦共和国におけるストゥディウム・ゲネラーレの理念・カリキュラム・社会的機能の変化を分析する。併せて、ガダマーの伝記から、ガダマーの思想形成の歩みにおけるストゥディウム・ゲネラーレの位置づけを確認する。ガダマーの思想形成の歩みはブレスラウ時代(1902年から1919年まで)、マールブルク時代(1919年から1939年まで)、ライプツィヒ時代(1939年から1947年まで)、フランクフルト時代(1947年から1949年まで)、ハイデルベルク時代(1949年から退官の年の1968年まで)、さらに,欧米各地で講義や講演をし,ハーバーマス(Habermas, J. 1929-)やデリダ(Derrida, J., 1930-2004)と論争した時代(1968年から没年の2002年まで)に区分することができる。1949年にヤスパース(Jaspers, K., 1883-1969)の後任としてハイデルベルク大学の教授になったガダマーは、ストゥディウム・ゲネラーレの創設当時、連続講義「大学の本質と構造」を担当していた。その内容は「ドイツの大学の理念、大学の社会的発展、大学の組織的構造、大学の法的地位、公共生活における大学の機能、大学の財政、講師や学生に関係するあらゆる問題、高等教育制度に関するドイツと諸外国の相違点」等を一瞥するものであった。この歴史的事実から、ガダマーの哲学的解釈学と教養論を捉え直すならば、対話による公共圏の形成とその過程に参加する市民の形成という教養教育の問題が浮かび上がってくる。それは専門諸科学の間の対話,大学と社会の間の対話によって公共圏を構築しようとするものだった。今後は、解釈学と公共圏の関連性をより明確にしていくことが研究課題となる。
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