研究課題/領域番号 |
22K11672
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分59030:体育および身体教育学関連
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
崎田 嘉寛 北海道大学, 教育学研究院, 准教授 (60390275)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,860千円 (直接経費: 2,200千円、間接経費: 660千円)
2024年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2023年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | 体育教員 / 日本体育学会大会号 / 実践研究 / 民間体育研究サークル / 体育学研究 / 学校体育実践 / スポーツ教育 / 体育授業研究 / 体育研究サークル |
研究開始時の研究の概要 |
本研究の目的は,1960~70年代の学校体育実践がどのように独自性を追求してきたのかを,制度,思想,実践面から歴史実証的に明らかにすることである。 具体的には,①学校体育の新たな歴史区分として,1960年代前半から1970年代後半を設定し,②この期間の学校体育実践に関する新史料を包括的に発掘・収集する。そして,③『学習指導要領』を含む制度面について「体力」と「技術」およびこれを止揚する観点から再検討し,④学校体育を支えた思想面を体系的に考察するとともに,⑤実践面について,これまで研究対象とされてこなかった学校体育実践を掘り起こし,典型的な体育授業研究との比較分析から解明する。
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研究実績の概要 |
3年計画の中間年となる本年度は、まず、1970年代の学校体育実践がどのように展開したのかを、現場の体育教員を対象として、学校体育の制度、思想、実践を接続する「研究」という視点から明らかにすることを試みた。具体的には、1971年から1979年に『日本体育学会大会号』に掲載された5,510件の抄録を対象として定量的に分析した。この結果、小・中・高の現職体育教員が参与した研究は439件(8.0%)であり、この内の89件(20.3%)が実践研究であった。研究初年度に実施した1960年代の分析結果を踏まえれば、学習指導要領の改訂前後に研究発表数が増加する傾向が確認できた。また、教育効果を高めることを研究目的とし、学習指導要領の内容を逸脱しない研究が中心であったが、研究意識が高まっているとも判断された。ただし、この研究意識の高まりは、「体育科教育学」専門領域における研究と現場の乖離という問題につながった可能性も推察された。他方で、民間体育研究サークルの成果公表の場として「学会」が位置づいていたことも確認できた。 次に、1960年代から70年代までに、地方教育行政単位で取り組まれた学校体育に関する資料を収集した。上記の調査結果から想定された学習指導要領の法的拘束力への順化傾向を踏まえて、地方の状況を確認することを念頭に、北海道(札幌市・帯広市)と沖縄(琉球政府文教局含む)を対象として教育課程、指導計画・内容、実践に関する資料を収集した。また、北海道(釧路)を中心として活動していた北方体育学習研究会に関する資料を、逐次刊行物(『体育科教育』、『体育の科学』、『教育』)を手掛りとしながら探索した。これらの資料からは、仮説的にではあるが、学習指導要領を念頭に置きつつも、学習内容(空手、スケート)や学習方法(グループ学習)の独自の探求がなされていたことが把握できた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、1970年代の学校体育実践がどのように展開してきたのかを、現場の体育教員による実践研究という視点から把握しようと試みた。研究初年度に実施した1960年代を対象とした同様の調査・分析を合わせれば、およそ20年間を対象とし、計3回の学習指導要領の改訂を射程に入れて、現場の体育教員による学校体育実践の動向を把握したことになり、当初に予定していた通りの進捗があった。この1,100件以上の現場の体育教員による実践研究を定量的に分析した結果は、現時点では、査読のある研究論文として公表するには至らなかったが、学会等で報告することで知見を深めることができたと判断している。 他方で、1960-70年代の学校体育実践に関する資料収集については、前年度の予備調査を踏まえて本調査を手堅く実施した。当該時期の学校体育実践について、歴史的観点からだけではなく今日的視点をも踏まえつつ、文献資料だけでなく映像資料、音声資料を含めて包括的に調査した。地方教育行政が取り組んだ学校体育実践に関する資料は、2000年頃からの市町村の統廃合によって、収集できた地域とできなかった地域にバラつきがあったが、一定程度の資料を収集することができた。一方で、民間体育研究サークルの内、現時点で活動していない団体の資料は、収集が極めて困難であった。機関誌ですら現存が確認できないものがあり、二次資料を活用して補完する工夫が求められた。 以上のことから、現状では、1960-1970年代における学校体育実践の全体的な動向に加えて、地域の実情を加味した学校体育行政の取り組み、各体育研究サークルの思想的背景が整理できつつある。そのため、おおむね順調に研究が進展していると裁定した。
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今後の研究の推進方策 |
研究最終年となる次年度は、これまでの研究成果を踏まえて、以下の三点に取り組む予定である。 まず、1960-70年代において、学習指導要領が求めた体育授業とは何か、それは具体的にどのような授業であったのかを改めて確認する。すなわち、当該時期の基準ともいうべき体育の授業を確認する。この作業に基づきながら、丹下保夫、竹之下休蔵、正木健雄らに影響を受けたと考えられる学校体育の授業研究を掘り起こし、それぞれの関係性について明らかにする。以上のことは、学校体育の制度的な目標として掲げられた「体力」と「技術」を止揚する観点となり得る、「認識」、「楽しさ」、「身体」がどのように関連してきたのかを明らかにすることでもある。 次に、1960年代までに発足した体育研究サークルの実践に関する資料をより丁寧に収集する。とりわけ、体育研究サークルが、体育の授業を実施するにあたって、どのような課題を抱えていたのか、それをどのように克服しようとしたのかを考察することが可能な資料の収集を試みる。そのためには、前年度までのアプローチに加えて、縁故者等へのアクセスが必要となろう。また、収集された資料の考察にあたっては、前年度までの研究成果との比較はもちろんのこと、浅井浅一、遠山喜一郎、橋本正一、石井久、三辺光夫、松本千代栄などの学校体育実践を牽引してきた人物の体育観を考察し反映させる。 最後に、これまでの研究を総括する。本研究では、1960-70年代の日本における学校体育実践とは、敗戦直後の占領下から探求された民主体育を正負の両側面から継承あるいは断絶しつつ、1970年代後半以降の学校におけるスポーツ教育とその実践の基盤を醸成した時期と想定している。そのため、本研究の総括では、この1960-70年代において、学校体育実践がどのように独自性を追求してきたのかを明らかにする。
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