研究課題/領域番号 |
22K13333
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分06010:政治学関連
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研究機関 | 早稲田大学 (2023) 九州大学 (2022) |
研究代表者 |
浜砂 孝弘 早稲田大学, 社会科学総合学術院(先端社会科学研究所), 助教 (30909289)
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研究期間 (年度) |
2022-04-01 – 2027-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,640千円 (直接経費: 2,800千円、間接経費: 840千円)
2026年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2025年度: 130千円 (直接経費: 100千円、間接経費: 30千円)
2024年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 岸信介 / 憲法改正 / 安保改定 / 憲法九条 / 日米安保体制 / 再軍備 / 日本外交史 / 集団的自衛権 / 外務省 / 内閣法制局 / 日本政治外交史 / 政府の憲法九条解釈 |
研究開始時の研究の概要 |
戦後日本の政治外交史では、日米安保体制の拡大強化と、「平和国家」の理念を体現する憲法九条との整合性が重要な争点であり続けている。本研究では、政治外交史的アプローチに基づいて日米交渉と憲法九条解釈の形成を実証的に検討することで、日米安保体制の確立過程を明らかにしたい。 研究対象としては、講和・安保条約の締結、安保改定、沖縄返還という日米安保体制が確立する三つの重要局面をとり上げる。その際、米国側資料に加えて、外務省の公開文書を中心とする日本政府側資料の渉猟を進める。以上により、「平和国家」を目指した戦後日本外交の縮図として、日米交渉に伴う政府の憲法九条解釈の形成過程を明らかにしたい。
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研究実績の概要 |
本年度は、1950年代を中心に、岸信介の憲法改正論と日米外交交渉の関係性を研究した。 講和独立後の日本では、旧日米安保条約に基づいて数多の米軍が駐留し続けたことに、「占領の継続」という批判が高まった。米国は旧安保条約の是正としての安保改定や米軍撤退の条件を、相互防衛条約化を可能とする憲法改正及び防衛力増強に求めた。そのため、米軍撤退を促すには単に再軍備するほか、日米間に相互性を付与して同盟の体裁を与え、西側陣営の一員としての立場を明らかにする必要があった。 こうした米国側の論理と、外交史研究が従来米国史料に依拠して進められたことの結果として、日本外交史研究では往々にして、憲法九条改正と安保改定問題が直線的に結び付けられて検討されてきた。その典型が岸信介の「二段階安保改定」構想である。先行研究では、岸は安保改定にあたり、相互防衛条約の締結による相互対等な日米関係の構築を目指しており、旧安保条約を是正して日米安保に支持を調達した後、憲法改正を実現して相互防衛条約への安保再改定を行うつもりだったと指摘される。 これに対し、研究代表者は、元来保守政治家にとって憲法九条改正と日米安保体制は次元の異なる争点だったという知見を得た。独立後の憲法改正論には、国家的自立や政治経済的復興を強力に推し進めるべく、国民の精神的紐帯を基礎付けようという発想が共通してみられ、九条改正による再軍備論にも、こうした社会動員の論理が内在していた。特に岸は、政界復帰直後から「独立の完成」を掲げて自主憲法の制定を目標に据えたが、安保改定を自ら主張したことはなかった。そこからは、先行研究で指摘されてきた「安保改定(相互防衛条約化)のための憲法改正」ではなく、「憲法改正のための安保改定」が岸の方針であり、相互防衛条約化という二段階目は、岸の晩年の回想や問題意識が遡って研究に投影されたのではないかという仮説を得た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
昨年度は日米安保体制と憲法九条の関係性について、外務省と内閣法制局に着目して憲法九条解釈が形成される政治外交過程を検討したが、本年度はその政治的コンテクストとして、1950年代の憲法改正論議や、安保改定を主導した岸信介の改憲論を調査した。これにより、憲法問題と日米安保及び外交交渉の連関について、より多角的に把握できたと感じている。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、安保改定の後、1960年代以降の日米交渉と憲法九条の連関について検討を進めていきたい。1954年に固まった自衛に必要最小限度の実力組織の保持(自衛隊合憲論)に加えて、安保改定交渉では集団的自衛権行使を違憲とみなす見解も整い、日本政府の憲法九条解釈の骨格が形成されたといえる。 これを踏まえたうえで、今後は、1960年代以降、日米安保体制の位相が日米二国間の軍事安全保障から、東アジアの安全保障に関する政治経済的コミットメントへと変容していくなかでの憲法九条解釈の展開を検討したい。特に、ローデシア独立宣言に関する国連の制裁問題や、1969年の佐藤・ニクソン会談における韓国・台湾条項で争点となった、非軍事面での集団的自衛権行使と憲法九条の問題について、さらに検討したい。
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