研究課題/領域番号 |
22K18467
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研究種目 |
挑戦的研究(萌芽)
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
中区分2:文学、言語学およびその関連分野
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研究機関 | 静岡大学 |
研究代表者 |
森本 隆子 静岡大学, 人文社会科学部, 准教授 (50220083)
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研究期間 (年度) |
2022-06-30 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2023年度)
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配分額 *注記 |
1,950千円 (直接経費: 1,500千円、間接経費: 450千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | ピクチャレスク / 島崎藤村 / 国木田独歩 / 柳田国男 / 田山花袋 / サブライム / ウィリアム・ワーズワス / ジョン・ラスキン / ナショナリズム / ワーズワス / ラスキン / 夏目漱石 / 日本風景論 / 風景 / サブライムとピクチャレスク / 明治美術会 |
研究開始時の研究の概要 |
アルプス山の超越的な自然を前にした感受性の慄きを表する「sublime」が志賀重昂によって「鉄宕」と訳出されて以来、「sublime」及びその下位概念としての「picturesque」は、小説や絵画を通して日本の〈国土〉を立ち上げてゆく触媒として機能してゆく。紀行文ブームや風景画が各地の山間や谷間の村々に「ロオカル・カラア」(島崎藤村)を発見し、「小民」や「常民」が逆説的に〈国民〉の創出へと繋がってゆくプロセスを追跡する。
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研究成果の概要 |
<サブライムな国土>を下支えする<ピクチャレスクな郷土>の解明をめぐって、明治30年代の<旅と紀行>の文学ジャンルを検討した。結果は当初の見取り図を大きく裏切るもので、国木田独歩の「小民」を始原に、終幕を柳田国男の「山人」研究に置く一連の分析からは、むしろピクチャレスクな風景に亀裂を走らせ、踏み破るようにして姿を現す、絶対的<他者>としての「民」を抽出することができた。 「穢多」を描く記念碑的作品、島崎藤村『破戒』に、ラスキン経由のワーズワス再受容がもたらした「瞑想」を媒介に社会からの「放逐」を選ぶことが「sublime/picturesque」の政治的力学圏への訣別を意味する構造を論じた。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
明治30年代文学が描く<自然>は、古くは明治40年代に隆盛を迎える自然主義文学の前駆とみなされ、また最近の研究成果は、これをオリエンタルな植民地主義を参照枠とした<中央>に対する<周縁>として位置づけている。これに対して、本研究が導き出した、ピクチャレスク美学に拮抗するような「民」の像は、植民地主義的眼差しに回収される寸前のところで独自の立ち位置を主張するものとして、一定の意義を持つだろう。柳田の「山人-常民」、「自由民権」の「民」と相俟って、これらの民衆像が内包する<ナショナル/反ナショナル>の自己矛盾的な両義性の解明は、ナショナリズム研究の一助となるはずである。
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