研究課題/領域番号 |
23730173
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 基金 |
研究分野 |
国際関係論
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
小松 寛 早稲田大学, アジア研究機構, 研究員 (50546314)
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研究期間 (年度) |
2011
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研究課題ステータス |
中途終了 (2011年度)
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配分額 *注記 |
3,120千円 (直接経費: 2,400千円、間接経費: 720千円)
2013年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2012年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2011年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 沖縄返還 / 琉球政府 / 屋良朝苗 / 佐藤栄作 / 日本・沖縄間交渉 / 日本復帰 / 本土並み / 沖縄問題 |
研究概要 |
本研究では沖縄県公文書館にて『屋良朝苗日誌』をはじめとする琉球政府関連資料を収集、分析する事により、1969年に日本政府と琉球政府間でなされた交渉内容を考察した。その成果は学会発表のほか『国際政治』168号へ論文「日本・沖縄間の「本土並み」復帰を巡る交渉過程」として発表した。 1969年、日米交渉により沖縄返還が決定したが、同時に日本政府と琉球政府間でも交渉が重ねられていた。日沖交渉を検証するため、上記の沖縄側資料のほか日本側資料として『沖縄返還交渉、日米安全保障条約改定交渉関係』(外務省外交史料館)などを活用した。論文では特に日沖間の「本土並み」を巡る議論に焦点をあてることにより、琉球政府の役割と日本政府の対応を明らかにした。 日沖交渉で米軍基地の「即時無条件全面返還」を要求する琉球政府に対して、日本政府は復帰後、基地は整理縮小され「本土並み」になるという展望を繰り返し伝えた。その論拠とは1952年の講和以降、日本本土から米軍基地が撤去された経験であった。しかしこの日本の主権回復と沖縄返還のアナロジーにおいて、日本から撤退した米軍基地が沖縄へ移転していた事実は抜け落ちていた。沖縄側についても、日本復帰運動は新基地建設抵抗運動から発展し、基地撤去を目的としたといわれる。しかし、沖縄は復帰前から日米安全保障体制における米軍基地の要所として組み込まれており、その意味で日本復帰によって基地撤去が進むという論理には疑問が残る。復帰思想に内包された期待そのものが矛盾を抱えていたといえよう。 本研究は沖縄返還交渉における琉球政府の役割に着目し、日米琉の相互作用の再構成を試みている。そして今日まで続く「沖縄問題」を検証するためには、日米関係のみならず、日本と沖縄の関係を歴史的に考察することが必要である。つまり、本研究は「日本沖縄関係史」という問題設定の一助となるであろう。
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