研究概要 |
国語科教育における古典教育は明治最初期においてどのような形で始発したのか。その具体的な様相を明らかにすることが本研究の目標である。その古典教育論の形成の歴史的経緯を整理することを通して,今後の古典教育の議論にとって,必須となる内容を提示することになるはずである。 H23年度においては,明治期最初の古典教科書編者である稲垣千穎の周辺に焦点を当て,東京師範学校の稲垣の後任にあたる新保磐次ついて調査を進めた。稲垣千穎が近世国学の理念を土台に中古文学を文範として把握したのに対して,新保磐次は,言文一致体としての普通文形成とその普及を目指した。新保磐次の経歴や思想を明らかにしつつ,新保磐次が編集した『日本読本』『中学国文読本』『中学国文史』を精読し,教材がどのような基準によって選抜されていったのかを明らかにした。新保は普通文の文範として,中世近世の和漢混清文を評価し教材化したのである。本調査の成果はすでに日本読書学会『読書科学』へと論文を投稿済であり,査読中の段階にある。 また,明治期の学習指導要領とも言える中学校教授要目の土台となった大日本教育会国語研究組合の意見の形成について調査を進めた。本来はH24年度に調査する予定となっていが,稲垣の後任新保磐次の教科書編集に大きな影響力を示し,また中学校教授要目への影響力も大きかったことが明らかになるにつれ,より喫緊の課題であると判断した。 14名の組合員は,普通文教育に尽力した東京師範学校関係者,日本文章会会員,日本文学史編者などで構成され,稲垣千穎のような近世国学派は所属していない。明治中期において普通文教育を大前提とした教材編集の方向が明確に打ち出されることになるのである。この成果は,24年5月に開催される全国大学国語教育学会大会(筑波大学)において,口頭発表することが決定している。
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