研究概要 |
我が国では、17世紀半ば頃オランダから伝わった測量術を紅毛流と称してきた。主な特徴は、平板上の用紙に現実の距離関係の縮図を描き、相似比を用い実際の距離を求める。言い換えれば、三角法でなく作図を用いて二点間距離を求める訳である。 その紅毛流測量術伝来に関する定説は、「1650年頃、オランダ人外科医カスパルが、長崎の樋口権右衛門に伝えた」というものである。しかし、調べてみると「1650年に砲術手ユリアンが、江戸の幕臣北条氏長達に伝えた」ことが明らかとなった。更に、オランダ商館長への商務員報告に驚くべき記述がある。1650年、幕臣達に伝えられたのは三角測量であった、というものである。ユリアンは幕臣達にsine,tangent,secantの表を写させ、「90ページの数字ばかりの小冊子」を用いて応用計算を教えた。その原本を求めオランダを訪れたが、それは三角関数表であった。すると三角関数表伝来の歴史が80年程早まり、和算史や測量術史が直接的な影響を受けることになる。今後、それを詳しく検討したい。 オランダ人による三角関数表伝達は、その時点では受容されなかった可能性が高い。角度の概念を持たぬ幕臣達は、三角関数表を用いた応用計算を思うように理解できなかったからである。測量術史における平板測量と三角測量との違いは、原理的には相似法と三角法の違いにあるが、幕臣達だけでない多くの江戸人もその狭間で苦しんだ。この事例は三角法を苦手とする生徒達への対応に際して、示唆を与えてくれるように思われる。三角比導入の一つの方法は、任意の二つの相似な直角三角形での隣接二辺の比の不変性によるが、そう考える必然性を説得力ある豊かな内容で教える工夫が求められる。 本研究では・紅毛流の起源について定説を覆す展開を得た。一方、それを含めると教育的、科学史的意義の解明には新たな展開の可能性があり、今後の課題としたい。
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