プラトン哲学は一貫して善・美・正義の本性を探究しているが、共にイデア論を用いた解明を試みる中期対話篇と後期対話篇とでは、考察の方向性は異なっている。本研究は、中期イデア論の超越論的説明と対比しつつ、後期著作『ソフィスト』『政治家』『テアイテトス』『ピレボス』のテキスト解釈を通して、後期イデア論に顕著な言語使用の分析が哲学的学びの実践となっている点を明らかにし、プラトンがイデアの超越性を保持しながら善・美・正義の解明に挑む道を着実に歩んでいることを示す。その作業により、イデアを学びの対象と捉え、哲学実践を倫理の根底に置いたプラトン哲学が相対主義に堕すことのない今日的意義をもつことを詳らかにする。
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