研究課題/領域番号 |
23K00292
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02010:日本文学関連
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研究機関 | 茨城大学 |
研究代表者 |
宮崎 尚子 茨城大学, 教育学部, 准教授 (30611652)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,210千円 (直接経費: 1,700千円、間接経費: 510千円)
2025年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2024年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2023年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 川端康成 / 倉崎仁一郎 / 伊原青々園 / 恒藤恭 / 西田千太郎 / 小泉八雲 / 近代の教育 / 日本近代文学 / 旧制中学校 / 満州製油工場 |
研究開始時の研究の概要 |
川端康成が中学生で書いた作文「生徒の肩に柩をのせて」(恩師・倉崎仁一郎の葬儀)の発見により、同じモチーフの小説との比較で虚構と事実の考察が可能になった。倉崎の足跡を辿ることにより倉崎の文学観を明らかにし、川端文学への影響を考察する。更に川端は孤児となった倉崎の娘達と自身の境遇を重ね、その独特の「孤児根性」から文学が生じた可能性が出てきた。これまでの川端文学研究では、孤児の問題や婚約破棄の研究は充実していたが、倉崎の研究は空白であった。川端作品のモチーフと倉崎家の動向が複数の点において一致していることも研究代表者は確認した。本研究は現地調査等資料収集することで、この空白を埋めていく研究である。
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研究実績の概要 |
川端康成の茨木中学校時代の担任教員である倉崎仁一郎の交流関係を調査した。川端は倉崎を3度も作品化しており、生涯の恩師と評価している。倉崎は文学への造詣が深く、川端へ影響を与えた可能性がある。倉崎の周辺を調査することで川端の文学観に迫りたい。倉崎は松江中学校の出身であり、同窓の親友である伊原青々園と書簡のやり取りをしていた。倉崎から伊原に宛てた書簡は早稲田大学図書館に所蔵されている。『伊原青々園宛書簡目録』(1998年、早稲田大学図書館)によると、伊原宛の4158通のうち、倉崎からの書簡は164通である。私信もあるが、外国作品を翻訳した物も見られた。この外国語作品を特定すれば、倉崎と伊原が共有していた世界文学観を明らかにできる。また、倉崎の死後は、倉崎の兄倉崎金之助(11通)、弟倉崎清(4通)、長女長谷川静子と夫長谷川清治(5通)、長男長谷川義郎(9通)の書簡が確認できる。伊原の妻フサ宛の書簡として倉崎の長女長谷川静子(2通)、長男倉崎義郎(1通)、三女倉崎道子(1通)、四女倉崎敏子(1通)が確認できる。倉崎の私信には子供を話題にした物がある。伊原の本名は敏郎といい、長男の義郎と四女敏子の名付けとも関係が深そうである。茨木中学校の同窓会報では、倉崎家の「惨事」を共有している箇所が見られる。倉崎の妻寿恵と長女の夫であり甥でもある長谷川清治の死のことだと思われるが、この甥清治の銅像(撫順製油工場長)が撮影された絵葉書がある。伊原青々園宛書簡には恒藤恭からの書簡が一通あった。恒藤(井川)は芥川龍之介の親友でもあり、傷心の芥川を松江に呼び寄せて静養させたことでも知られている。倉崎の松江の知己には西田千太郎もいた。西田は小泉八雲と交流が深かったことで知られる。この倉崎の生家と八雲の旧居、恒藤が芥川の為に用意した住居(志賀直哉も滞在)は距離的に近く、松江城の濠端であったことが確認できた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
計画では夏季休業中に松江中学校と茨木中学校の資料調査を入れる予定だったが、研究代表者が新型コロナウイルスに感染してしまい、計画していた期間の調査を行うことが出来なかった。その後も調査可能な時期や新型コロナウイルスの後遺症等の支障があり、調査や踏査を行うことが出来なかった。体調が回復した年度末に、伊原青々園宛書簡の調査と撫順製油工場絵葉書調査と恒藤恭旧居を含めた松江踏査を行った。伊原宛の書簡の中に、恒藤恭からのものがあり、両者に交流があったことが新たに確認できた。恒藤は傷心の芥川を郷里である松江に招き、一夏を過ごしている。それらの場所を確認することで、川端と芥川の新たな共通点を探った。
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今後の研究の推進方策 |
1.松江市での調査。倉崎関連の資料(写真・書籍を含む)を調査する予定である。川端は大正7年1月に、倉崎の長男義郎に宛てて書簡を出している。伊原宛の書簡に、茨木中学校の友人達から書簡を受け取った旨が書かれている。義郎の母の実家が保管している書簡は勿論のこと写真等の関係資料が残っていないかを確認する。 2.茨木市での調査。倉崎を招聘した茨木中学校の加藤校長の寄贈した資料を調査する。在籍していた学生達のクラス写真もあり、倉崎の親族からの書簡もある。特に松江の関係者に絞って確認する。 3.撫順製油工場跡地の調査。倉崎の長女の夫(倉崎の妻の甥)長谷川清治の銅像の跡地を確認する。昭和16年に川端は満州を訪れており、滞在を延長している。中国でも北の方にあるので、冬季よりも夏季に訪問することが望ましい場所である。助手兼通訳を伴い現地を踏査する。 4.早稲田図書館調査。伊原青々園宛書簡の関係者について調査する。明治から大正時代の同窓会交流について明らかにしたい。 この他、23年度に確認できた川端と芥川の共通点についても国際芥川学会で発表する予定である。初年度が新型コロナウイルスの影響で出遅れているので、進捗状況によっては延長もあり得る。
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