研究課題/領域番号 |
23K00336
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02020:中国文学関連
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研究機関 | 奈良女子大学 |
研究代表者 |
野村 鮎子 奈良女子大学, 人文科学系, 教授 (60288660)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,420千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 1,020千円)
2025年度: 260千円 (直接経費: 200千円、間接経費: 60千円)
2024年度: 2,860千円 (直接経費: 2,200千円、間接経費: 660千円)
2023年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 悼亡詩 / 亡妻 / 明清文学 / 遺民 / 王夫之 / 屈大均 / 呉嘉紀 / 明清詩 |
研究開始時の研究の概要 |
明清の悼亡詩に関する研究は総じて低調であるが、実は明清には悼亡詩(亡妻の死を士大夫が自ら哀悼した詩)の作品数が多く、士大夫は哀悼散文または悼亡詩のいずれかを制作する傾向にある。しかも、十首以上の連作も珍しくない。制作期間も長期化の傾向にある。唐・宋では悼亡詩の制作時期は妻の没後1~2年に集中するが、明清の場合、没後十数年を経てからの作もかなりある。さらに明清では士大夫の友人による悼亡詩の代作や唱和詩が一般化する。それを詩人が一冊の詩集に編纂にすることもあった。 悼亡詩の量的拡大、制作期間の長期化、代作や唱和の増加、悼亡詩集の編纂といった現象から、唐・宋とは異なる明清の文学の特徴を分析する。
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研究実績の概要 |
本研究は、明清に盛行した悼亡詩を考察することを目的とする。今年度は、主に明滅亡後、明の遺民として生きることになった、王夫之(1619~1692)、屈大均(1630~1695) 、呉嘉紀(1618~1684)の悼亡詩について「詩史」としての側面から分析した。三者はいずれも明末清初の混乱の中で妻を喪った。王夫之は清軍の南下によって郷里が戦場と化し、山に隠れていた時に最初の妻を喪い、その後、一旦は永暦政権に出仕したものの、政権の内部分裂に絶望し、継妻とともに命からがら衡陽に帰り、南岳にこもって学問に没頭した。彼の継妻への悼亡詩はともに死線を越えた同志への追悼であり、描かれるのは一組の夫婦がたどってきた苦難の歴史である。屈大均にとって王華姜との結婚は、一度は抗清に挫折した彼を遺民として再生させるものであった。その悼亡詩では広東という慣れぬ土地に嫁ぎ没した夭折した妻を、殉国の士である妻の父や兄の最期とオーバーラップさせることによって、壮大な歴史絵巻を創出した。呉嘉紀は、抗清活動のために自ら従軍したわけではないが、貧窮の中で、己が節を守って生きた遺民の一種の典型といえる。その悼亡詩は下級詩人の生活実態を反映している。 明の滅亡は、平穏な家庭生活をも破壊した。忠誠を尽すべき国を突如喪なった遺民詩人にとって、亡妻とは亡国の象徴であり、悼亡詩で詠われる妻在り日の平穏でささやかな暮らしについての描写は、失われた旧王朝への懐古でもある。 悼亡詩はこれまで亡妻を恋うる「私」の感情を詠じる、どちらかというと私領域に属する文学として考えられてきた。一方、詩史とは社会や政治批判を込めた詩によって「公」の歴史を叙することであり、公領域の文学というイメージが強い。しかし、本研究では、個人の家庭生活の経験もまた一つの「史」であるという立場から、悼亡詩が詩史としての意義をもつことを指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
『清人詩文集彙編』のデータベースを第3集まで購入し、これを格納するため1teraという大容量のパソコンが必要になったため、令和6年度分の科研費から50万円を前倒しで執行した。これによって、調査のスピードアップを図ることが可能になった。
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今後の研究の推進方策 |
令和6年度は、これまでの明清の亡妻哀悼散文研究の成果と今回の悼亡詩に関する研究成果をまとめた論文集の準備をする予定である。それと並行して、王夫之、屈大均、呉嘉紀の遺跡に関する踏査も行い、写真などを論文集の挿図にしたい。 また、清代には他者の悼亡詩に唱和することが盛んに行われ、それを一つの文集にまとめることも行われたらしいが、ほとんどが亡佚しており、その実態はまだ明らかになっていない。次年度以降はこれに注目して研究を進める予定である。ひきつづき『清人詩文集彙編』のデータベースの第4集を購入して、調査のスピードアップを図りたい。
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