研究課題/領域番号 |
23K00374
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02030:英文学および英語圏文学関連
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研究機関 | 富山大学 |
研究代表者 |
結城 史郎 富山大学, 学術研究部人文科学系, 准教授 (00757346)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,470千円 (直接経費: 1,900千円、間接経費: 570千円)
2025年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2024年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | オスカー・ワイルド / ジョージ・バーナード・ショー / 『獄中記』 / G.B.ショー / W.B.イェイツ / ジェイムズ・ジョイス |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、ワイルドについての「アイルランド人作家」という評価を問い、「コスモポリタン」としての作家像を析出する試みである。その目的のため『獄中記』をめぐるショー、イェイツ、ジョイスのワイルドについての評言を取り込み、その背景を探ることにする。いずれの作家も多数の作品を残し、研究期間も限られている。この実情に鑑み、1905年に刊行されたワイルドの人生や文学を統括する告白としての書簡、『獄中記』に絞って考察を進め、成果につなげたい。『獄中記』をめぐる各作家の評言を手がかりにし、それぞれの評言の背景を検証し、コスモポリタンとしてのワイルド像を具体化する。
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研究実績の概要 |
本研究は、ワイルドについての「アイルランド人作家」という評価を問い、「コスモポリタン」としての作家像を析出する試みである。その目的のため、『獄中記』をめぐるジョージ・バーナード・ショー、ウィリアム・バトラー・イェイツ、ジェイムズ・ジョイスの評言を取り込み、その背景を探るものである。いずれの作家も多数の作品を残し、研究期間も限られている。この実情に鑑み、1905年に刊行されたワイルドの人生や文学を統括する告白でもある書簡、『獄中記』に絞って考察を進め、成果につなげたい。具体的には『獄中記』をめぐる各作家の評言や、その背景を検証しながら、コスモポリタンとしてのワイルド像を実証するものである。 そのため2023年度は『獄中記』についてショーが「喜劇」と評した真意をたどり、ワイルドとの繋がりを検証することにした。これはワイルドの演技者的な気どりの背後に潜む、その内実を洞察する諧謔である。アイルランドからの離脱により、二人はコスモポリタンとしての自由を獲得し、相互に影響を与えあっていた。ワイルドの「社会主義下の人間の魂」(1891)はショーのフェビアン協会での交流の影響下で書かれたユートピア論で、逆説的にもショーの『人と超人』(1903)や『バーバラ少佐』(1905)はその革命論を手引きにしている。こうした両作家を結ぶ手がかりとして、『人と超人』を参照枠として、『獄中記』に対する「喜劇」というショーの評言の意図を探ることにした。 二人ともダブリンの出身者であり、年齢も近く、敬愛の念を相互に抱きながら交流していたが、両者の間に敵対心もあった。本年度は『人と超人』の背後にあるそうした敵対を探ることができた。ワイルドが亡くなったこともあり、ショーも憤懣を作品化したかったのだ。その敵対については研究会で発表する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2023年度はジョージ・バーナード・ショーの『人と超人』に伏在する、オスカー・ワイルドへの敵意を探った。この作品はワイルドの死後に書かれ、ショーの本音が投影されている。実のところ、ショーもワイルドも同世代で同じ経歴をたどっている。いずれもイギリス系アイルランド人としてダブリンに生まれ、若いころからロンドンを拠点とし、文学者としての道を歩んだが、ショーが大学で学ぶ機会を与えられなかったのに対し、ワイルドはオクスフォード大学に留学し、目覚ましい成績を残していた。これは大きな相違である。にもかかわらず、二人はアイルランド人ということで親交を深め、「ケルト派」として1890年代のイギリスの演劇界をリードすることになる。 しかしワイルドは1895年に同性愛の容疑で2年間投獄され、釈放されてわずか3年後にパリで永眠した。その一方、ショーはその後も数々の作品を発表し、1925年にはノーベル文学賞を受賞している。ショーの心の内にはワイルドに対する怨念もあったはずである。ショーの『人と超人』はワイルドの影響から離脱しようとするその内実を映していると思われる。そしてワイルドとの相違を前景化しようとする、ショー自らの奮闘として3点を取りあげた。(1)序文として添えられた「献呈の手紙」では、文学の目的はプロパガンダであるとして、唯美主義を否定している。(2)巻末の「革命家必携」はワイルドの「社会主義下の人間の魂」と異なり、個人の幸福ではなく、人類の安寧を目的としている。(3)物語はドン・ファンを扱っているが、ワイルドと対照的にロマンスとしての部分を軽視している。 本年度はペイター協会のシンポジウムに招かれ、ワイルドやジョイスとペイターについて、口頭発表した。これにより、ペイターの影響下にあったワイルドの唯美主義者としての姿勢ついて、その実態を再考する手がかりができた。
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今後の研究の推進方策 |
予定通り、2024年度は『獄中記』とウィリアム・バトラー・イェイツの関わりを検証する。イェイツは「悲劇的な世代」(1922)で、大陸への亡命を拒み、同性愛者としての服役に甘んじたワイルドを愛惜している。イギリス人作家という仮面の下に潜む、コスモポリタンとしてのワイルドについての卓抜な洞察による。そうした二人を繋ぐのが、キリスト像である。童話『幸福な王子その他』(1888) から『獄中記』に至るワイルドのキリスト像への憧憬をめぐり、イェイツの詩「浮浪者の磔」(1894)と劇『カルヴァリの丘』(1920)への影響を検証し、ワイルドの受苦を析出する。 2023年度にショーとワイルドの関わりを検討したことにより、その実態を検討することができた。2024年度のワイルドとイェイツとの繋がりはその延長であるが、2023年に日本ペイター協会でのシンポに参加し、ワイルドの唯美主義者という評価に疑義を抱くことになった。これが大きな励みとなり、今後のコスモポリタンとしてのワイルド評価に裨益するところが大である。実のところ、ワイルドの師でもあったペイターによる『ドリアン・グレイの肖像』の書評は辛辣であったが、ペイターはその作品が自らの文学を風刺したものであることを直感していたのである。時代の文脈に鑑み、この小説は「唯美主義の悲劇」と評価されることもある。あるいはワイルドのこの小説は、ペイターの唯美主義、とりわけ彼の美学論集『ルネサンス』(1873)を標的にした風刺とも思われる。 こうしたペイター評価は、イェイツが回顧する「悲劇的な世代」にも通底しているはずである。イェイツはワイルドを含め、ペイターの影響を受けた作家たちに視点を向けている。イェイツがワイルドの受苦に心惹かれていたのはそうした広い文脈によるものである。そのため唯美主義者という世代からの逸脱者としてのワイルドも探るつもりである。
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