研究課題/領域番号 |
23K00420
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02040:ヨーロッパ文学関連
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研究機関 | 金沢大学 |
研究代表者 |
南 コニー 金沢大学, 国際学系, 准教授 (10623811)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,730千円 (直接経費: 2,100千円、間接経費: 630千円)
2025年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2024年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | サルトル / グローバル・ジャスティス / 単独的普遍 / ラッセル法廷 / キルケゴール / 民衆法廷 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、ジャン=ポール・サルトルがその晩年のモラル論の中で提起した概念「単独的普遍」が如何にして「ラッセル法廷」という民衆法廷へと展開していったのか、その過程を読み解きつつ、現代的意義と今後の可能性を探ろうとする考察である。2017 年に50周年を迎えた「ラッセル法廷」は、1967年、ベトナム戦争の犯罪性を訴えるバートランド・ラッセルとサルトルの両者によって、ストックホルム、東京、ロスキレ(デンマーク)の3都市で開催され、世界的に大きな反響を呼び起こした。「ラッセル法廷」をサルトル晩年のモラル論のきわめて有意義な展開のひとつと位置づけ、その射程を究明する。
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研究実績の概要 |
「単独的普遍」あるいは「単独的普遍者」という概念は、サルトルがキルケゴール生誕150周年を記念して行った講演『生けるキルケゴール』(1964)で初めて提出され、自らのアンガージュマンを永年支えてきた要石的な概念である。しかし「単独者でありかつ普遍者である」という相反性ゆえに、さらにはその発想源がまさしく両義的な表現をそのエクリチュールの戦略のひとつとするキルケゴールであったという事情も加わって、抽象的思考の枠を出ない造語としてこれまで扱われつづけてきた。一般的に研究者の間で理解されている「単独的普遍」の定義とは、「一人の人間がもつ普遍性にも独自性にも還元されない在り方」、つまり、「一人の人間の生は個人を越える普遍的な人間の在り方を示しているが、同時にかけがえのない独自性を持っている」というものである。しかし、「個人を越える普遍的な人間の在り方」とはどういうことなのか、また、独自性を持つといっても、誰が何にたいして独自的なのか、また、双方同時に共存する在り方は可能なのか等、「単独的普遍」をめぐって当然問われるべき論点に関して、しかるべき議論がなされないまま現在にいたっている。本年度は、「単独的普遍」という抽象概念の社会的具現化の一形態、ならびにその「アンガージュマン」という継続的プロセスの帰結のひとつとして「ラッセル法廷」を位置づけ、その独自性と社会への貢献度を考察した。まずは、「ラッセル法廷」という世界で初めての「民衆法廷」について、哲学的かつ社会学的視点で分析を行った。哲学的視点においては、かねてより研究してきたサルトルのモラル、「贈与」の問題と照合しつつ、「ラッセル法廷」により如何に世界同時的な民衆啓蒙が可能になったのかという問題を究明するとともに、サルトル自身がこの「ラッセル法廷」を通して、如何に自らの戦略の修正ならびに立て直しを迫られたのかを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
コロナ禍が続いていたため、なにかと研究にも制限がかかっていたが、その中でもラッセル法廷関連の資料は読み続けていたし、サルトルの後期思想の展開を、たとえば北欧出身の作家たちの小説や演劇に見出しつつ研究を進めてきた。現在、ラッセル法廷をめぐる総轄的な論文を準備中であり、おおかた順調に研究が進んでいると判断している。
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今後の研究の推進方策 |
コロナのためしばらく控えていたフランスやデンマークやスウェーデンといったラッセル法廷の開催と大きくかかわった国々に保存されている資料の収集を再開し、それらを整理し、論考としてまとめる予定である。それを日本フランス語フランス文学会やサルトル学会、さらにはキェルケゴール研究会などで口頭発表するとともに、会誌等に掲載予定である。
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