国造制は王権が各地の有力氏族を国造に任命してそのクニの支配権を保障し、労働力・軍事力・物資等を提供させる制度である。一方、屯倉は政治的・軍事的拠点、あるいは貢納奉仕の拠点であり、王権による地方支配の中核として機能したが、その実態はいまなお不明な点が多い。本研究では、出土文字資料に注目するとともに、官衙遺跡の発掘調査の進展や歴史地名データベースの公開等を踏まえ、屯倉に関する情報を網羅的に収集する。そして、複数の屯倉を取り上げて、その所在地・機能・経営実態等を再検討することで、国造制と屯倉制が具体的にどのように連動しながら、ヤマト王権の地方支配制度として有機的に機能したのかを総合的に考察する。
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