研究課題/領域番号 |
23K01050
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分05010:基礎法学関連
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研究機関 | 横浜国立大学 |
研究代表者 |
小沢 奈々 横浜国立大学, 教育学部, 准教授 (00752023)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2027-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,550千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 1,050千円)
2026年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2025年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2024年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2023年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
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キーワード | 欧米留学 / 日記 / 書簡 / 大正時代 / 法学方法論 / 法継受 / 留学 / 教養教育 |
研究開始時の研究の概要 |
我が国の法学は、外国法を摂取し、法典化することから始まった。そして、法典編纂が一応の完成をみた明治末から大正期にかけ、法学者たちは、外国法への依存から脱却し、法学という学問を自立させることの必要性を唱え始める。本研究が捉えようとするのは、この自立の過程である。大正期にあって「法の社会化」という名の下で自立を達成するために、法学者たちがどのような新たな取り組みをなしたのか、そのために留学という機会を契機として外国法といかに対峙したか、その教養的バックグラウンドは何であったかを、彼らの綴った留学日記や書簡を通して明らかにする。
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研究実績の概要 |
研究初年の本年度では、研究計画の第一段階として日記・書簡などの一次史料の調査の実施をグループ別にすすめた。「グループ② の第一次世界大戦の余波をうけた時期の留学生たち」については、我妻栄資料館で我妻栄の留学時代の家族宛の手紙、立命館大学で末川博の講義ノート(ハーバード大学、イエール大学、ベルリン大学)、大阪公立大学で末川博が留学時代に日本人法学者から受け取った書簡を中心に調査した。「グループ③第一次大戦終結後に創設された国際連盟・ILOに関わっていた法制官僚たち」については、農商務省官僚としてパリ講和会議および同年ワシントンで開かれた第一回国際労働会議に随員として列席し、その後、国際労働機関(ILO)理事会帝国事務所長としてジュネーヴで活動した吉阪俊蔵に関する史料を発見し、ご親族への聞き取り調査や、史料整理を行った。 また、本研究では、書簡の整理・取り扱い方法のノウハウの調査も計画している。調書では2年目に実施する予定であったが、夏期休暇中にスイスでの調査が可能となったため、スイスでの調査を1年前倒しする形で実施した。スイス連邦公文書館を訪問し、スイス民法典起草者のEugen Huber書簡の保存状況の確認を行った。ドイツ法学者がEugen Huberに宛てた書簡のなかで、特にHuberと学術交流の多かった、Max von Ruemelin、 Rudolf Stammler、Josef Kohlerの書簡を入手し、Kohlerの書簡については翻刻を試行的に行った。また、Huberと書簡のやりとりを行った相手方の書簡の整理状況を調査したところ、Max Ruemelinについては、Tuebingen大学に関連書簡が保管されており、目下、研究が進めれられている事実を確認したため、その研究関係者と接触し、研究状況についての情報を得ることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
史料調査については、調書作成時の計画に沿って着実に情報を収集することができた。 ただ、その作業の中で、調書作成時には見落としていた視点が存在することに気づいた。 第一に、調書では、日記・書簡を用いることで、「彼らの視線を実証的に追い、彼らがいかにして自立を目指したかを、また彼らの目線の奥にある彼らの教養的バックグラウンドも含めて解明すること」を目指すと書いているが、この目標の達成のためには、彼らの西洋法や西洋の法学方法論理解を問い直す作業が必要不可欠であることの気づいた。この作業をするためには、当時のヨーロッパ、特にドイツにおける法学方法論の展開と、ドイツの法学者のその受容過程と日本の法学者のそれとの比較を行わねばならない。こうした作業も今後の研究計画の中に織り込んでいきたい。 第二に、調書では神戸寅次郎の存在・重要性を見落としていた。彼は、当時にあってドイツの法学方法論の日本の導入を企図した人物である。彼の企図が当時の日本で成功することはなかったが、それがなぜかという問いもたて、その分析も研究計画に織り込むことにした。
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今後の研究の推進方策 |
吉阪が残した史料の解読作業をすすめる。特に注目しているのが吉阪と末弘厳太郎のネットワークである。吉阪はパリ講和会議の国際労働立法委員会で手伝いをすることになり、その際、法学者末弘厳太郎の助力を得ており、その当時の様子や両者の学術交流を書簡から明らかにすることができる。末弘と吉阪は、パリに行く前、ニューヨークで同居している時期もあり、また戦時下のアメリカからヨーロッパへ「船で一つキャビンの寝床を上下に分ちながら」一緒に渡った仲である。帰国後も交流は続いていた。末弘は、体系的な労働法学を構築することを目指す孫田秀春のようなドイツ労働法の影響を受けた法学者たちとは異なり、労働者の保護といった労働法の実質的側面を重視する。このような視点は国際連盟での経験をしてきたからこそのものであり、吉阪からの影響をみることができる。両者の学術的交流をさらに明らかにしていきたい。 また本年度の作業を通じて、ヨーロッパの諸機関における書簡の保管整理状況が相当すすんでいることがわかった。例えば、フーバーが受け取った書簡はスイスの公文書館に保管されており、すでにデータベース化され、研究の利用に供されている。またフーバーが発信した書簡も先方の方での保管整理が進みつつある。たとえば、フーバー がマックス・フォン・リューメリンにおくった600通の手紙は、ドイツ・チュービンゲン大学で保管され、近年、急速に研究がすすめられている。こうしたヨーロッパでの書簡研究のひろがりや、その研究環境整備についても、次年度では研究調査をすすめていく。
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