研究課題/領域番号 |
23K02080
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分09010:教育学関連
|
研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
吉川 卓治 名古屋大学, 教育発達科学研究科, 教授 (50230694)
|
研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2026-03-31
|
研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
|
配分額 *注記 |
1,950千円 (直接経費: 1,500千円、間接経費: 450千円)
2025年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2024年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
|
キーワード | 大学設立認可基準 / 大学設立認可内規 / 発専七八号通牒 / 医育統一 / 医学専門学校 / 医学教育 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、文部省が政策方針に「医育統一」を位置づけた戦間期の日本において医学教育の二元構造がどうして強化・固定化されたのか、すなわち「医育統一」の理想と現実の乖離がどうして生じたのか、ということを私立医学専門学校の設置と存続の過程に注目しながら一次資料を用いて実証的に解明しようとするものである。
|
研究実績の概要 |
本研究は、文部省が政策方針に「医育統一」を位置づけた戦間期の日本において医学教育の二元構造がどうして強化・固定化されたのかということについて、実証的に解明することを目的としている。 文部省は、この考えのもとに、1916年をもって医術開業試験を廃止したうえで、1918年に単科大学および公私立大学を認める大学令を制定して、1920年代初めまでに公私立の医科大学を認可し、官立医学専門学校はすべて医科大学へと昇格させた。ところが、その一方で私立医学専門学校は1920年代半ば過ぎに増加し、その後増加は停止するものの、学校数は維持されていく。本研究は、こうした状況が発生した要因を私立医学専門学校と文部省との関係に注目しながら実証的に解明しようとするものであった。 本年度において戦間期において大学令のもとで文部省が作成し、大学認可に用いた大学設立認可基準について、従来しばしば誤解されてきた「大学設立認可内規(秘)」の成立時期を改めて特定したうえで、その前身たる「発専七八号通牒」や、後の改訂「大学設立認可内規」との相互関係について、国立公文書館や国立教育政策研究所教育図書館の所蔵する一次史料を用いて詳細に検討した。その結果、文部省がそのときどきの公私立大学の状況や社会情勢を踏まえて認可のための要件を追加し、認可のハードルを引き上げつつ審査にあたっていたことを解明した。以上の成果はオープンアクセスの可能な所属大学の研究紀要に論文として発表した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
「おおむね順調に進展している」と考える理由としては、第一に、2023年度において、戦間期の日本における「医育統一」政策の前提として、文部省が大学令のもとで公私立大学を認可する際に使った大学設立認可基準の成立・展開過程について、すべての公私立大学の設立認可申請書と照合しながら、一番初めの「初専七八号」通牒(1919年)、これに続く「大学設立認可内規(秘)」(1924年)および、夜間授業を規制するためにこれを改訂した「大学設立認可内規」(1929年)の三つの相互関連性を整理・明確化して論文化し、公表することができたことがあげられる。 第二に、現段階では論文化するまでには至っていないものの、国立公文書館のデジタルアーカイブや国立国会図書館のデジタルライブラリーを使うことで、その範囲内ではあるが、戦間期に新設された私立医学専門学校の設置認可申請書や昇格過程に関する史料の整理が比較的順調に進んできていることがあげられる。
|
今後の研究の推進方策 |
引き続き、まずは1920年代終わりまでの増加期における私立医学専門学校の設置課程を解明する。ここでは、この時期に新設された設置申請と認可の経緯を明らかにする。その際、公文書や会議録、雑誌、新聞などの一次資料を用いて検討していく。 次に、1920年代終わり以降の停滞期において私立医学専門学校を新設しようとする動きはなかったのか、あったとすれば文部省はどのような対応をしたのか、雑誌や新聞などを用いて明らかにする。現段階で公立医学専門学校新設への動きもあったことがわかっており、その経緯も併せて検討したい。 最後に、1920年代終わり以降の停滞期において既存の私立医学専門学校に対して文部省はどのようにかかわったのか、文部省は私立医学専門学校側に何らか働きかけを行なったのか、行なったのならばそれはどのようなものだったのか明らかにする。昨年度の成果を踏まえて検討がなされることになる。 以上の作業を行なったうえで、医学教育の二元構造がこの時期どうして強化・固定化したのか考察する。
|