研究課題/領域番号 |
23K02169
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分09010:教育学関連
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研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
前田 一男 立教大学, 名誉教授, 名誉教授 (30192743)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,770千円 (直接経費: 2,900千円、間接経費: 870千円)
2025年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2024年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2023年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | 長野県教員赤化事件 / 「二・四事件」 / 信濃教育会 / 大正自由教育 / 伊藤泰輔 / 校長日記 / 教育労働運動 / 治安維持法 |
研究開始時の研究の概要 |
長野県教員赤化事件(「二・四事件」)を通して、アジア・太平洋戦争において、なぜ教師たちは理性も知性も失っていなかったにもかかわらず戦争に熱狂的に協力することができたのかという戦時下教育の問題性に迫ろうとするものである。 具体的な研究素材となる「二・四事件」について、新たに発掘された校長の日記資料(伊那小学校長 伊藤泰輔)を解読しながら、校長として何に悩み抵抗しようとしたのか、それは周囲からどのような評価を受けることにったのかなど、一人の校長の視点から「二・四事件」およびその後の満蒙開拓青少年義勇軍の動向を跡づけ、「二・四事件」を新たに位置づけ直そうとすることが、研究の概要である。
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研究実績の概要 |
本研究は、長野県教員赤化事件(以下「二・四事件」)を、教育運動史の思想弾圧事件としてだけでなく、大正自由教育からの教育実践を分断した信州教育界における一大転換点として1930年代の日本教育史に位置づけ直そうとするものである。そのような視点を措定することで、文部省にとって新教・教労の労働運動だけでなく信濃教育会も弾圧の対象であったことが新たに浮かび上がってくる。この再解釈の試みは、3期にわたって進行中である。 第1期は、「二・四事件」で裁判にかけられた6名(藤原晃・河村卓ら)の中心人物であった教師の裁判記録を分析の対象にし、教育労働運動への参加、活動や実践の内容、教育天皇制への認識などを検討した。第2期は、治安維持法の目的遂行罪により検挙された10名の教員の「手記」(反省文の「答案」)を分析の対象にして、教育運動にかかわった些細な理由でも検挙された教師の実際を分析した。第3期は、伊那小学校校長であった伊藤泰輔の「日記」を分析の対象にし、検挙者を出した学校長の認識、県や信濃教育会あるいは伊那町との関係を明らかにしながら、改めて「二・四事件」の歴史的性格を再検討しようとしている。 教育労働運動の中心的な教師、関与したとされる周辺の教師、そして検挙者を出した小学校の校長と、3つの視点からアプローチしようと研究を進めている。「二・四事件」が起きた小学校は長野県の諏訪郡であったが、検挙された教員は上伊那郡出身者が多かった。その中心校ともいえる伊那小学校の対応および同校からも検挙者を出すことになった校長の認識を丁寧に追うことで、新たに教育実践史としての「二・四事件」の歴史的性格を問おうとするものである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今回の科研のテーマである「校長日記からアプローチする長野県教員赤化事件(「二・四事件」)の歴史的性格」に示されているように、主な資料は伊那小学校の校長を歴任した伊藤泰輔の日記である。その伊藤の日記は、元上伊那教育会長の矢澤静二氏に遺族からすべて委託されている。この科研の趣旨を改めて矢澤氏に説明しながら、伊藤泰輔日記のうち「二・四事件」前後の日記を電子媒体によって複写させてもらう作業が2023年度の大きな作業課題であった。 矢澤氏とは第2期の科研の申請時にも協力していただける関係にあったが、改めて日記翻刻のための複写について、複数回のやり取りをしながら、2023年9月下旬に上伊那教育会館にて、昭和8年1月から昭和10年12月までの伊藤泰輔日記の電子データによる複写を行うことができた。同時に、矢澤氏から伊藤泰輔の生涯についてレクチャーを受け、伊藤泰輔の人物像に理解を深めた。また、「二・四事件」への贖罪として満蒙開拓青少年義勇軍への送出が積極的になっていく上伊那郡において、戦後その反省を込めて開催されている「少年の塔慰霊祭」(上伊那教育会平和教育研修会)にも参列することが出来た。 「二・四事件」研究の新たな進展を可能にする、伊藤泰輔日記ではあるが、現在研究会を組織してその翻刻に従事している。ただ、伊藤泰輔独特の筆跡になかなか慣れることが出来ず、はかばかしい進捗状況には至っていない。翻刻は、1933年2月中旬に差しかかったところまでである。 日記翻刻と併行して、地方新聞の『伊那毎日新聞』の「二・四事件」関係記事の翻刻も始めている。すでにその記事は電子データとして収集し終えており、現在翻刻が進行中で、1933年3月上旬までを終えている。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究推進方策として、4点を計画している。 (1)電子データとして複写した伊藤泰輔日記の翻刻を加速させることである。現在翻刻が進行中で、次年度中には少なくとも「二・四事件」の控訴審の裁判が終わる1934年5月までの日記は翻刻し終える予定である。 (2)伊藤泰輔日記を委託されている矢澤静二氏と共同の研究会を開催し、翻刻のすり合わせ検討をして誤記の修正を行いたい。さらにそこから浮かび上がる研究課題の抽出を行いたい。検挙者を出した学校長の認識、長野県や上伊那教育会、信濃教育会あるいは伊那町との関係はいかなるものであったのか。さらに校長として検挙者を出した事態をどのように認識しているのか、校長として何に悩み抵抗しようとしたのか、それは周囲からどのような評価を受けることになったのか、引責辞任はいかに考えられていたのかなど、一人の校長の視点から「二・四事件」をめぐる実際を検証していきたい。 (3)伊藤泰輔校長が置かれていた状況を知るためにも、刻々と報道される地域新聞である『伊那毎日新聞』の翻刻とその読解も継続していきたい。『信濃毎日新聞』も可能ならば活用していきたい。伊藤校長の認識を地域の中で位置づけるためにも、必要な作業となろう。 (4)伊那小学校の近隣の「学校日誌」「職員会議録」の収集に努めたい。さらに長野県内の「学校日誌」「職員会議録」にも調査対象を広げるかもしれない。どの程度の記述がなされているか不明ではあるが、各学校内で「二・四事件」がどのような影響を及ぼしているのかを検証していきたい。
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