研究課題/領域番号 |
23K02439
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分09040:教科教育学および初等中等教育学関連
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研究機関 | 琉球大学 |
研究代表者 |
和氣 則江 琉球大学, 医学部, 講師 (90315474)
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研究分担者 |
當山 裕子 琉球大学, 医学部, 准教授 (90468075)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2027-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2026年度: 130千円 (直接経費: 100千円、間接経費: 30千円)
2025年度: 260千円 (直接経費: 200千円、間接経費: 60千円)
2024年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2023年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
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キーワード | 養護教諭 / 学校保健 / 教育活動 / 公衆衛生看護 / 駐在制度 |
研究開始時の研究の概要 |
日本における学校保健の取り組みは,明治初年以来,学校医をはじめさまざまな保健関係者の協力を得つつ,教育行政のもとで運営されてきた。沖縄は戦後すぐに米国統治下におかれたため,十年余を米国式公衆衛生行政に組み込まれて学校保健は等閑された。日本とは異なる施政権下であったにもかかわらず,1958年に養護教諭の配置をみた後の学校保健の急速な発展ぶりは,日本本土の学校保健指導者が驚嘆するほどであったとされる。 本研究では,米国統治下(1945年~1972年)の沖縄における養護教諭に焦点をあて,彼女たちの活動を支えた外的・内的要因について,日本本土との比較を通して,その特徴を探る。
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研究実績の概要 |
日本における学校保健活動は,明治初年以来およそ150年余の歴史を有し,学校医をはじめとするさまざまな保健医療関係者の協力を得ながら教育行政のもとで運営され発展してきた。日本本土では戦後いち早く「学校衛生刷新の件」により学校保健の取組が再開されたにもかかわらず,戦後すぐに米国統治下におかれた沖縄では戦前に養成・配置されていた学校衛生婦の配置はなくなり,米国式の公衆衛生行政に組み込まれた形で,学校保健の取組は等閑された。地上戦が行われた沖縄の医療従事者は極端に少なく,大小さまざまな島嶼から成る地理的特性があり,学校医の配置はままならない状況であったことも一要因である。施政権が異なる状況下であったにもかかわらず,日本本土に準じた学校教育法を整え「養護教諭」の配置をみたことを機に,学校保健の取組が急速に整い,児童らの健康状態が大きく改善された経緯がある。その発展ぶりは,日本本土の学校保健指導者が驚嘆するほどであったといわれる。 本研究は,米国統治下(1945~1972年)の沖縄における公衆衛生行政および学校教育行政に関する日本本土との比較をとおし,沖縄で学校保健を急速に発展させ得た外的・内的要因について検討するものである。 初年度は,沖縄に初めて配置された「養護教諭」らの養成や配置・活動状況について,カリキュラムや活動記録等の資料を収集し,当時の公衆衛生看護婦との関係を含めて把握し,日本本土との比較を通して沖縄における特徴をとらえることを試みた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
米国統治時代の沖縄において唯一の養護教諭養成機関として指定されていた公衆衛生看護学校が組織改編され,当時の資料が散逸していることや,関係者が高齢(90歳代)なっており健康上の理由等で,思いのほか資料収集に時間を要している。
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今後の研究の推進方策 |
養護教諭の先駆者のみならず,公衆衛生看護学校(のちの沖縄県立看護学校・沖縄県立看護大学)の同窓会を通じて伝手をたより,米国統治時代の公衆衛生看護学校のカリキュラムその他の資料および証言を収集する。
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