研究課題/領域番号 |
23K02458
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分09040:教科教育学および初等中等教育学関連
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研究機関 | 和歌山大学 |
研究代表者 |
菅 道子 和歌山大学, 教育学部, 教授 (70314549)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2027-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,550千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 1,050千円)
2026年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2025年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2024年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2023年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | 1920年代 / 戦後 / 唱歌教材 / 音楽 / マスメディア / 唱歌専科教員 / 児童唱歌コンクール / 1920年代以降 / 初等音楽教育 / メディアの大衆化 / 小松耕輔 / 芸能科音楽 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究の目的は、昭和戦前期における初等音楽教育の形成過程を解明することである。「唱歌」が国民学校期に「芸能科音楽」へと改編される過程において、1920年代以降の制度、実践、社会文化状況の影響は多大である。 本研究ではこれらの関係構造に着目し、次の課題により検証を行う。1)1926年小学校令改正による「唱歌」完全必置化、専科教員配置の制度化がもたらした「唱歌」教育拡大の内実と影響についての解明、2)1920年代以降の活字・音源マスメディアの発達と大衆化が、新しい初等音楽教育の普及を促進し、同時に戦時下において音楽の国防教育プロパガンダとしての役割を顕在化させたことの内実と影響の解明、である。
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研究実績の概要 |
本研究は、学制期設置の教科目「唱歌」が国民学校期に「芸能科音楽」へと改編される過程において、とりわけ1920年代以降の制度、実践、社会文化状況の影響が多大であると捉え、これを関係構造的な歴史像として解明することを目的としている。その解明に向けてⅠ制度改革(1926年小学校令改正)による唱歌教育の量的・質的拡大の内容とその影響を明らかにすること、Ⅱ1920年代以降の活字・音源等のマスメディアの大衆化が、初等音楽教育にもたらす影響について(初等音楽教育実践の普及・促進並びに国防教育のプロバガンダ、国民統合としての機能を強化したという仮説)、その内実と関係構造を解明すること、この2つを研究目標として各課題を設定している。2023(令和5)年度に実施したことは次の2点である。 第1には、歌唱教育の量的・質的拡大並びにその変容解明の一端として、戦前・戦時から戦後にかけての教材選択に対する小学校教師たちの意識の変化を文部省の「意見調査」(1949)をもとに分析した。戦意高揚、超国家主義的な歌詞の歌唱教材については、戦後は否定するものの、その境界線は曖昧であり、《我は海の子》《うみ》などの海事思想は戦後も支持される例があり、外国曲の歌唱教材よりもわらべうたや戦前の唱歌教材を継続的に支持する傾向が見られた。 第2に、マスメディアの大衆化と初等音楽教育実践にもたらす影響関係の一つとして、1932(昭和7)年開始のラジオ放送による児童唱歌コンクールの変遷とそれにかかわる地域の小学校と放送局、教育行政の取り組みについて考察を行った。児童唱歌コンクールは、地域一体の取組みとなり、地方の中央放送局所在地の入賞率が高くなったこと、戦時期には国民精神総動員運動の一環となり外地学校の参加、歌唱形態の大規模化が進み、その影響下で子どもたちの歌声も形成・変容されたことを指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究の進捗状況は、設定した研究目標に照らし合わせると以下の通りである。 Ⅰ制度改革による唱歌教育の量的・質的拡大の内容とその影響の解明の内、1)戦前・前時から戦後にかけての初等音楽教育実践の変容の一端として、教材選択に関する教師たちの意識変化を当時の意見調査をもとに分析した(菅2024)。2)1926年小学校令改正による初等音楽教育実践の変容分析については、地方都市の例として和歌山市・県の資料収集に着手しているものの、資料確保は不十分であり、今後も継続する。3)「芸能科音楽」制度成立に向けた、文部省内での議論、軍部からの介入等、その内実解明については、資料調査の機会を十分に確保することができなかった。音楽教科書編纂委員であった小松耕輔の資料調査について再計画し、実施する。 Ⅱマスメディアの大衆化が初等音楽教育にもたらす影響の解明の内、1)1930年代以降に東京市の二人の音楽視学の主張の違いから、雑誌メディアを通して展開した二つの唱法論争(音名唱法と階名唱法)の経緯と内実について、東京市議会での議論についての資料収集を実施した。分析については次年度の課題である。2)ラジオ放送を駆使した児童唱歌コンクールの変遷と特質については、雑誌メディアも活用しながら教師たち、教育音楽家、音楽家等が情報交換を重ねる中で児童の歌声が形成され、また戦時下においては国民精神総動員運動に取り込まれる形で政治的・軍事的糸をもって展開されたことを指摘した(菅 2024)。他方、小学校児童たちが各地域放送局に出演し、地域文化振興に役割をもったこと等は未着手であり、今後継続して調査を行う。
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今後の研究の推進方策 |
本研究の今後の推進方策については、各研究課題に即して整理すると次の通りである。 Ⅰ制度改革による唱歌教育の量的・質的拡大の内容とその影響の解明の内、1)1926年(大正15)年の小学校令改正による「唱歌」科必置化と唱歌専科教員の配置状況については、地方都市の例として和歌山県の資料収集を継続し、分析を行う。2)「芸能科音楽」設立に向けた文部省、群分関係者とのやりとり、経緯解明の一端としては、音楽教科書編纂委員であった小松耕輔の人物像調査と資料の収集分析を進める。 Ⅱマスメディアの大衆化が初等音楽教育にもたらす影響の解明の内、1)雑誌メディアを通して拡大した、移動ド唱法、固定ド唱法をめぐる「唱法論争」については、尋常小学校唱歌専科教員、教育音楽家、音楽等の言説とともに東京市議会での議論内容を踏まえて、今後は東京市の音楽視学の人事異動、唱歌教育実践に生じた変化について資料収集、分析を行う。2)ラジオ放送による児童唱歌コンクールの変遷と児童の歌声形成に与えた影響については分析を行った(菅2024)。加えて小学校児童たちが各放送局に出演し、地方文化振興の役割を担ったことについては、今後いくつかの事例について資料収集と分析を行う予定である。またラジオ以外の出版、音源といったマスメディアと初等音楽教育実践とのかかわりについて資料収集と分析を行う。
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